2020 南山学園概要

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- 2020 南山学園概要
南山大学 南山高等学校 ・ 中学校 男子部 南山高等学校 ・ 中学校 女子部 南山国際高等学校 ・ 中学校 聖霊高等学校 ・ 中学校 聖園女学院高等学校 ・ 中学校 南山大学附属小学校 聖園女学院附属聖園幼稚園 聖園女学院附属聖園マリア幼稚園
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- Hominis Dignitati
この教育モットーから、 南山学園のすべてがはじまる。
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人間の尊厳のために
南山学園の教育理念 南山学園組織図 南山学園の歩み 年表 聖園学院の歩み・年表 学園と私 学園に貢献した人々 歴代の役職者 南山学園概要 南山学園交通案内図
CONTENTS
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- 南山学園 の 教育理 念
南山学園は、 常に教育と研究の充実を図り、 幼児、 児童、 生徒、 学生の人格形成を援助し、 確かな学力と豊かな人間力 を身につけた人材の育成を通じて社会に貢献することを めざします。 そのため、 南山学園の構成員一人ひとりが一丸となって 努力していく ことを約束いたします。
南山学園理事長
市 瀬 英 昭
人間の尊厳を尊重かつ推進する 人材育成が 南山学園のミッション
キリスト教世界観に基づく教育
南山学園は 、 幼 稚 園から大 学 院までを擁 する カトリック系 総合 学園であり 、 カトリック系総合 キリス ト教 世界 観 に 基づく教 育を行 い 、 人 間の 尊 厳 を尊 重 かつ 推 進 する人 材の育成をめざしています 。 キリスト教 世界 観の要は 、 一人ひとりの人 間がまさに一 個 人 としてかけがえのない存 在 であり 、 侵すべからざ る尊 厳をもつ 、 という考えです 。 したがって 、 キリ スト教 世界 観に基づく教 育の目標 は 、 一人ひとり がまず 自分 の 尊 厳 に気づき 、 その 徹 底を図る一 方、 他 者の尊厳を認め 、 共に 、 人間の尊厳が 尊 重 され 推 進される社 会 づくりに役 立 とう 、 という生 き方を培うことです 。 この建学の理 念を端的に表 現 するために 、 南 山 学 園の 各 学 校 はラテン 語で H o m i n is Di g nit ati 、 す なわち 「 人 間の尊 厳の ために 」 という統 一 の 教 育 モッ トーを掲 げ てい ます 。 ここで いう 「尊厳」 とは 、 「 立 派 な 人物 である から 尊 敬 される 」 といった 条 件 つきのもので は あ りません 。 神との関 係において全ての人 間に刻 印され 、 本質 的に備 わっている神 聖 性 、 厳かさの ことです 。 聖 書 の冒 頭に 、 天と地 、 植 物と動 物な どの 創 造 が 述べられた後 、 こう続 きます 。 「 神は 言われた 。 『 我々にかたどり 、 我々に似せて 、 人を 造ろう 。 』 」 ( 創世 記 1章 2 6 節 ) 。 すなわち 、 神は応 答 で きる 相 手 を求 めて人 間の 創 造を決 意した 、 という意 味です 。 引き続き 、 人 間の創 造はこう述 べられています 。 「 神 は 御自分 にかたどって人を 創 造された 。 神にかたどって創 造された 。 男と女 に創 造された 。 」 ( 2 7節 ) 。 このように 、 古代 中東 父権社会の常 識に逆らって 、 男性のみならず女性
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- も神の似 姿であることが 強 調されています 。 イエスはこの精 神にのっとって 、 男性のみに離 縁 の 権 利を 認 めていた 制 度 を拒 否し 、 また 、 女 性をも弟子の間に迎えました 。 その福 音の要は 、 人はみな神の子なので 、 やがて 「 神の国 」 が出来 上 がるとき 、 誰もが 歓 迎される 、 ということでし た。 とくに 差 別されていた 人々にとって 、 これ は 前 代 未 聞 のうれしい 知らせでしたが 、 権 力者に は 従 来 の 体 制を 危うくしかねない 脅 威と映った ので 、 イエスは十 字 架 刑に処せられました 。 この イエスを神がわが 子として迎 え 、 その下にすべて を一つに集 めることを望 んでおられる 、 というの が 復 活 信 仰の 要で す 。 その 信 仰を広めたパウロ は、 ガラテアの 信 徒 への手 紙の中でこう訴えてい ます 。 「 もはやユダヤ人もギリシャ人もなく 、 奴隷 も自由な身分の者もなく 、 男も女もありません 。
あなたがたは皆 、 キリスト・イエスにおいて一つだ からです 。 」 (3章28節) 。 もちろん 、 イエスやパウロの言 動によって 、 直ち に奴 隷 制 度や男女 差 別が 消えたわけではありま せん 。 しかし 、 その 精 神に 鼓 舞されて 、 どんな人 間にも 、 まさしく一 個人として侵すべからざる尊厳 がある 、 ということが 、 今広く認められています 。
ライ ネルス館は、 旧制南山中学校、 外国語専門学校、 大学、 中学校の校舎として 使用された。 (登録有形文化財、 名古屋市都市景観重要建築物)
教育の4つの特色
宗教性の涵養
南 山 学 園で は 、 宗 教 性 の 涵 養 について二つの 課 題を区 別しています 。 一つ は 、 キリスト教 、 ユ ダヤ 教 、 イスラム 教 、 仏 教 などを問 わず 、 生 かさ れていることへの 感 謝 、 という基 本 的 な 宗 教 心 を育むことです 。 私が今 このように生きているこ とは決して当たり前 ではありません 。 天 地 万物の 存在、 生 命 の 進 化や人 類 の 歴 史 、 とりわ け 国 や 家 族など 、 種々多様な無 数の積み重 ねがあって 、 私が 生きています 。 否、 ただ生きているだけでな く、 まさに生 かされ ている 、 ということで す 。 教 育の 現 場でこの 感 受 性 を育 むことは 大 切 なこと です 。 なぜなら 、 自分が 生かされていることに感 謝 ができる人は 、 自分と同じように生かされてい る他 者を思いやることができるからです 。 こうした基 本的な宗教心の涵養に加えて 、 世界 の主だった宗教についての基 本的な知識を教える ことがもう一つの課 題です 。 この知識を身につけ た人は 、 将 来世界のどこへ行こうとも 、 その地域に 住む人々の考え方 、 価値判断や生活 習慣などの根 幹をなすものを正しく評 価し 、 相互 理 解に貢献で きるようになります 。 グローバル 化が急 速に進 む 中では 、 異なる宗教をもつ人々との出会いも増える に違いありません 。 こうした接 触が誤解 、 摩擦 、 衝 突につながらないように 、 相互 理 解に貢 献できる 人は 、 今後ますます必要となるでしょう 。 現 代のキリスト教は西 欧 文 明と極 めて 密 接な 関 係にありますが 、 他方、 すべての良いものはそ の起 源がどこにあろうとも 、 それを素 直に取り入 れよう 、 という包 容 性もキリスト教の誕 生にまで さかのぼります 。 聖書にはこう書いてあります 。
NANZAN SCHOOL CORPORATION
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- 南山学園 の 教育理 念
「 すべて 真 実 なこと 、 すべて気 高 いこと 、 すべて 正しいこと 、 すべて 清 いこと 、 すべて愛 すべきこ と、 すべて名誉 なことを 、 また 、 徳や 称 賛に値 す ることがあれ ば 、 それを心に留めなさい 。 」 ( フィ リピの 信 徒 へ の 手 紙 4 章 8 節 ) 。 ここで 求 められ ている謙 虚 で 、 かつ 、 開かれた姿 勢を培うことは キリスト教 世 界 観に 基づく教 育の重 要 課 題の 一 つで す 。 それ は 、 日本 の文化 、 およびそこに培わ れた諸 価 値に対 する畏 敬 を育 む 一方 、 国際的な 視 野 に 立って 物 事 を 考え 、 行 動 する姿 勢 を培う ことを意 味しています 。
な知的理 解の前 提であり、 あくまでも自由で 創造 的な思索の基盤をつくるために行われています。
地域社会への貢献
創立以 来 、 南山 学 園は 深く地 域 社 会に根ざし ています 。 1 9 3 2 年に南山中学 校が 設 立されたの は、 カトリック教会の新しい管 轄単位として10 年 前にで きた名古屋教区の初代教区長ヨゼフ・ライ ネルス師 が地 域の 発 展のため 確かな 学 力と豊か な人 間 力を兼ね備えた人 材の育成が 教会に課さ れた使 命 だ 、 と確 信していたからで す 。 そのよう な使 命 感の中から立ちあがった南山中学 校 で 推 進された 「 家 庭との連 携と個 性尊 重の 教 育 」 は、 地 元 で 早くも 好 評 を 博 したので 、 開校4 年 後の 1 9 3 6 年 には 、 地 域の強い 要 請に応えて 、 南山 小 学 校が開設されました 。 太平洋 戦 争の半 年 前 、 小 学 校 は名 古 屋 市に 移 管されることになりました が、 地 域の 新たな要 請に応えて 、 2 0 0 8 年 に南 山 大学附属小学 校 、 という校名で復活しました 。 終 戦 間もない1 9 4 6 年 、 外国語専門学 校が設 立されたのは 、 海 外 との貿易を中 心 に戦 後 の 発 展 を図るべき中 部 地 域 に 、 国 際 舞 台で 活 躍 で き る人 材 輩 出の 使 命 が 南 山 学 園にある 、 とライネ ルス師の後を継いだアロイジオ・パッヘ師と仲間 が 強く感じていたからです 。 こうした 志は自然 に 南 山 大 学 の 創 立 につ な が りました 。 初代学長 パッヘ 師 はモノづくりの土 地 柄 に 鑑 みて 理 系 学 部 の 開 設 をも 構 想していましたが 、 文 系学部の 充 実のため 、 その構 想の実 現は 2 0 0 0 年まで待た なければなりませんでした 。
知的理解と厳しい知的訓練
南山 大 学を頂 点とする学 校 教 育では、 技術的 習熟よりも知的 理 解を基 本とし、 更に、 その能 力 を養うため厳しい知 的 訓 練を行います。 キリスト 教の 伝 統 的 な 考えによれば、知 的 理 解 は信 仰と 矛盾せず、 むしろ信 仰を強めるのです。 南山学 園 の教育における知的理 解の重 視は、 この伝統に沿 うもので す。過 去 における多くの 過ちが、独 善と 偏見の結果であったことを考えると、 澄 明な知 性 の涵養が如何に重要であるかは明らかでしょう。 学 校 教 育における 教 科や 授 業 科 目の 多くは 、 それ自体が知識であるより、 むしろ経 験や 知識に 対して 将 来 の 知 的 理 解 を可 能にする力を 養うこ とが目的 で す。厳 密 で正 確 な 思 考 や 明 晰で 偏ら ぬ 判 断をする能 力は 、厳しい 知 的 訓 練を経て 初 めて身につきます。 例えば、 創造 的な数学的思考 は長い厳 格な数 学の訓 練の 後に初めて 可 能にな るものです。 南山学園の厳しい知的 訓練は、 明晰
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- 19 6 0年代以降 、 南山大学では世界中から多くの 留 学 生を 受 け入 れてきたことも 地 域 の国 際 化へ の少なからぬ貢 献の証であるといえるでしょう 。
国 際 性の 涵 養
世 界 中に 広がるカトリック 教 会 を 背 景 にもつ 南 山 学 園 にとって 国 際 性 の 涵 養 は 重 要 なミッ ションの 一つで す 。 創立以来 、 外 国 語 教 育に特 別な努力が注がれているのも 、 そのためです 。 実 際 に高 い 外 国 語 能 力 は 国 際 性 を 養 い育 てる上 で、 いわば 不 可欠 な 条 件で す 。 留 学や 海 外 経 験 のある教 員が 多いことは南山 学 園の 著しい 特 色 です 。 また 、 外 国 人 教 員の 在 籍 比 率 の高さは全 国屈指でしょう 。 外 国 人に日本 語・日本 文化を教 授 する南山 大 学国際センター ( 外国人留学生 別科 ) の海 外にお ける評 判も良く 、 毎年、 受け入れ定 員を上まわる 入学希望者が世界 各国から志願してきます 。 大学 にお ける 学 問 的 国 際 交 流 や 海 外 留 学 制 度 の 充 実、 小学 校における英 語教育・国際 教育も南山学 園の国際的活動の拡がりを示すものです 。 南 山 学 園における国 際 性 の 涵 養 がめざすとこ ろは 、 将 来世界 の 何処の地に行き 、 どのような人 と交わるにしても 、 一人ひとりに備 わった尊 厳を 認め 、 偏見の無い精神で相互の理 解を図り 、 友情 の 輪を広げることが で きるような 国 際 人を育 成 することです 。 このことが人 間の尊 厳を尊 重 、 か つ推 進する人材の育成にもつながります 。
聖家族像
NANZAN SCHOOL CORPORATION
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- 南山学園組織図
学校法人 南山学園
南山大学
人間文化研究科
●キリスト教思想専攻 [博士前期課程] ●宗教思想専攻 [博士後期課程] ●人類学専攻 [博士前期・後期課程] ●教育ファシリテーション専攻 [修士課程] ●言語科学専攻 [博士前期・後期課程] ●国際地域文化専攻 [博士前期・後期課程] ●経済学専攻 [博士前期・後期課程] ●経営学専攻 [博士前期・後期課程] ●総合政策学専攻 [博士前期・後期課程] ●法律学専攻 [博士前期・後期課程] ●システム数理専攻 [博士前期・後期課程] ●ソフトウェア工学専攻 [博士前期・後期課程] ●機械電子制御工学専攻 [博士前期・後期課程] ●法務専攻 (専門職学位課程・法科大学院)
※ビジネス研究科経営学専攻博士後期課程は募集停止をしており、 在学する者がいなくなった段階で廃止する。
理事会
評議員会
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大学院 学部
研究センター等 研究 所 ・ 地域
国際地域文化研究科 社会科学研究科 法学研究科 理工学研究科 法務研究科
人文学部 外国語学部 経済学部 経営学部 法学部 総合政策学部 理工学部 国際教養学部
●キリスト教学科 ●人類文化学科 ●心理人間学科 ●日本文化学科 ●英米学科 ●スペイン・ラテンアメリカ学科 ●フランス学科 ●ドイツ学科 ●アジア学科 ●経済学科 ●経営学科 ●法律学科 ●総合政策学科 ●システム数理学科 ●ソフトウェア工学科 ●機械電子制御工学科 ●国際教養学科
外国語 教育センター 教職センター 体育教育センター 国際 センター 情 報センター 保 健センター 南 山 エ クス テン ション・カレ ッジ
●外国人留学生別科 ●視聴覚教育センター
研究所 地 域 研究センター 各種研究センター 人類学博物館 図書 館
●人類学研究所 ●南山宗教文化研究所 ●社会倫理研究所 ●アメリカ研究センター ●ラテンアメリカ研究センター ●ヨーロッパ研究センター ●アジア・太平洋研究センター ●人間関係研究センター ●言語学研究センター ●経営研究センター ●法曹実務教育研究センター ●理工学研究センター
キリスト教センタ− コンプライアンス室
IR 推進室
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- 2020年4月1日現在
南山高等学校・中学校
男子部 女子部
南山国際高等学校・中学校 聖霊高等学校・中学校 聖園女学院高等学校・中学校 南山大学附属小学校 聖園女学院附属聖園幼稚園 聖園女学院附属聖園マリア幼稚園 南山学園
●南山アーカイブズ ●南山キリスト教教育センター
法人事務局
総合企画室 総務事務室 人事事務室 財務事務室 施設事務室
南山大学
学長室 総務部 学務部 教育・研究事務部
●総務課 ●入試課 ●人事課 ●学生課 ●経理課 ●教務課 ●施設課 ●キャリア支援室 ●国際センター事務室
●情報センター事務室 ●南山エクステンション・カレッジ事務室 ●図書館事務課 ●教育・研究支援事務室 ●学事課
事務組織
南山高等学校・中学校
男子部事務室 女子部 事務室
南山国際高等学校・中学校
事務室
聖霊高等学校・中学校
事務室
聖園女学院高等学校・中学校
事務室
南山大学附属小学校
事務室
聖園女学院附属聖園幼稚園
事務室
聖園女学院附属聖園マリア幼稚園
事務室
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- 南山学園の歩み
南山の誕生前史
1906- 1931
学園創立者ライネルス神父の高い理想の下に
南山学園の設立母体はカトリック神言修道会 (以下 「神言 会」 という。 ) である。 神言会 (Societas Verbi Divini:ラテン語、 略称S.V.D. 英語ではSociety of Divine Word) は1875年、 ドイツ人の アー ノルド・ヤンセン神父により、 オランダの町シュタイルに創 立されたカトリック修道会で、 キリストの福音を語り継ぎなが ら、 まだ福音の伝えられていない地域で宣教の使命を果たす ことをその目的としている。 神言会の日本での宣教は、 学校教育を目的として始められ た。 明治時代の末、 日本のカトリック教会の指導者の一人で あった函館教区長ベルリオーズ司教は、 ローマ教皇庁布教聖 省の意向に従い 、 19 0 6 年 、 新しい修 道会を日本に招くため ヨーロッパ諸国を歴訪した。 その際、 神言会の創立者ヤンセ ン神父と会見し、 日本で教育事業に着手するよう勧誘したの である。 これに応え、 神言会は翌1907年、 チェスカ神父ら3名 の会員を派遣し秋田・山形・新潟の3県で宣教と教育活動を 開始した。 1908年、 創立者を同じくする聖霊奉侍布教修道女 会 (以下 「聖霊会」 という。 ) からも5名の修道女が秋田に派遣 され、 神言会の活動を援助するとともに、 みずからも教育慈 善事業に尽力した。 当時 の日本はヨーロッパ文化 の導入に熱心で、 カ トリッ ク教育に対する評価は高 かった。 このような状況の もとで1909年、 南山学園 の創立者である神言会員 ヨゼフ ・ ライ ネルス神父が 来日し 、 東 北・北陸の地 で教育事業に取り組み始
ヨゼフ・ライネルス師
抱いていた。 ライネルス神父は、 学校設立のための活動に積 極的にのりだし、 1927年に日本を襲った金融恐慌や、 第二次 世界大戦へつながっていく世界情勢の激変などの苦難を乗り 越え、 南山中学校創立の基盤を築き上げていったのである。
南山中学校 (旧制) の 誕生と発展
1932 - 1945
試練の時代を越えて
1932年、 財団法人南山中学校 (設立者・理事長ライネルス 神父) の設立が認められ、 南山中学校 (旧制) が設置された。 この学校では、 初代校長ライネルス神父の信念に基づき個性 を尊重した適性指導を行うため、 小人数の学級編成による自 学自習主義が教育方針として掲げられていた。 ライネルス神 父は慈父のように温厚な人柄で生徒に大きな影響を与えた。 第1回の入学者数は61名であった。 学習に適した美しい健 康地として八事丘陵が校地に選ばれた。 当時としては通学に 不便であり、 願書受付に着手した時期が遅かったことなどか ら 「20名も集まれば大成功」 と言われていたが、 こうした世 評をよそに、 61名の入学者をえて順調なスタートとなった。 学校のあたりの山林地が南山 (みなみやま) と呼ばれてい たので、 創立者は校名を 「なんざん」 とした。 「 南山中学」 の校 名で、 「 みなみやま」 より 「なんざん」 の方が音のつながりが良 かったためらしい。 また、 「 なんざん」 は、 李白の春日行や詩経 に散見する 「南山」 「 南山寿」 などにも通じ、 持久、 堅固を意味 し、 長寿を慶祝する辞義がある。 創立期の人々が、 この名称に 学校の永久の繁栄の意をこめていたことはいうまでもない。 木立に囲まれた丘の上に立つ明るい鉄筋コンクリート3階 建の校舎は近代的な魅力にあふれ、 人々の関心を惹いた。 だ が一方、 運動場には時折野兎が飛び出して体育の授業が中断 されるなど、 すべてがのんびりと静かで、 私塾の趣きのある家 庭的な雰囲気の学校であった。 その後、 テニスコートや体操 用具、 運動器具など学校設備が年々整備され、 1934年には体 育館兼講堂の至誠堂も竣工した。 1936年には県下初の私立小学校として南山小学校が 設 立された。 この小学校は、 1941年に国民学校令実施を前にし て名古屋市に移管され、 八事国民学校 (のちの八事小学校) となる。 日本が戦時色を強め、 国の内外事情が緊迫の度を加えるに つれ、 南山中学校はカトリック系私学として厳しい試練に遭 遇し、 細心の注意を払って軍国主義的な時代の情勢に対処 し、 難局を乗り切らなければならなかった。
めたのである。
1926年、 ライネルス神父は名古屋教区長に就任したが、 こ のことにより、 日本における神言会の教育事業は新しい出発 をしたのであった。 ローマ教皇庁布教聖省は、 新教区長の就 任にあたって最も希望する事柄として教育事業への従事を要 請し、 ライネルス神父は名古屋に男女中等学校を創設する決 意を固めるが、 その理想とするところは、 円満な人格を育て、 人格形成としての教養を身につけるための学校であった 。 そのような教育を可能にするために、 ライネルス神父は当時、 すでに小学校から旧制高等学校までの一貫した学園構想を
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- から財団法人南山学園 (理事長松岡孫四郎名古屋教区長) と 改められた。 当時の南山学園の設置者は教区であり、 理事長 には教区長が就任していた。 しかし、 その教区の運営は神言 会が担当しており、 学園の基本資金の大半は、 ローマ教皇庁 と神言会米国本部からの宣教資金に依存していた。 つまり、 南山学園は、 実質的には教区と神言会が一体となって運営し ていたのである。 南山外国語専門学校の修業年限は3年、 入学定員は英語科、 華語 (中国語) 科の各科50名であった。 入学試験の受験者は約
南山中学校入学記念写真
300名で、 1946年9月、 英語科64名 (内女子4名) 、 華語科55名の 合計119名が第1年次生とし て入学した。 南山外国語専門学校の校章は新しい南山学園の紋章として 用いられた。 十字架を背景にした南山の文字を鎖でかこみ、 左 右に5枚の翼という構図は、 パッヘ校長の創案によるものであ り、 この5枚の翼は、 総合学園を象徴し ている。 南山外国語専門学校は、 名古屋における大学・専門学校の 間で、 またカトリック校で最初の男女共学校であった。 1947年 には仏語科、 独語科を増設した。 入学定員は英語科80名、 華 語、 仏語、 独語の各科それぞれ30名となり、 1947年の入学試験 には定員の5倍強の受験者があった。 1947年3月、 「 教育基本法」 と 「学校教育法」 が公布され、 旧 制高等学校と専門学校の廃止が決まった。 この時期、 一地区を 示すだけの南山よりも、 知名度の高い名古屋の名称を校名に 使ってほしいとの要望があり、 専門学校は早晩大学へ発展的 解消していくという背景もあり、 1947年8月に名古屋外国語専 門学校と改称した (1951年廃止) 。 また、 この時期、 南山外国語専門学校への関心が高まり、 市 民の語学熱や受験生の希望も考えて、 外専の放課後に授業 (午後5時半始業) を行う専修科が設置されたが、 第1期生は 150名とたいへんな盛況であった。 1947年4月、 学制改革により新制南山中学校 (男子部) が設 立され、 旧制中学校 (1948年廃止) と併設された。 また、 1948 年4月には新制南山高等学校 (男子部) が設立されると同時 に、 中学校に女子部が設置されて、 懸案であった女子の中等 教育が実現した。 1951年には高等学校にも女子部が設置さ れ、 男女それぞれの個性を生かしながら中学、 高校6年間を一 貫して教育する現在の南山男子部・ 女子部のかたちが出来上 がったのである。 1948年5月には新制南山高等学校に夜間課程普通科が設 置 (1953年廃止) され、 旧制中学卒業者のための新制度への 移行処置がとられた。 なお、 高等学校・中学校の校長はパッ ヘ専門学校長が兼任した。 1948年10月、 財団法人南山学園の経営がカトリック名古屋 教区から神言会に委譲され、 神言会日本管区長フーベルト ・ フ
このような状況のなかで、 外国人であるライネルス神父は、 1940年に南山中学校校長を、 1941年にカトリック名古屋教区 長を、 財団法人南山中学校理事長をそれぞれ辞任せざるを えなくなったが、 自らが教区長として設立した南山中学校の 運営についてはその後も尽力を続けたのであった。 このような 時代であったが、 南山の名は地域に浸透し、 生徒数も着実に 増加していった。 1941年、 太平洋戦争勃発とともに南山中学も戦時体制の なかに組みこまれ、 1942年には中学校の修業年限は4年に短 縮され、 1944年には学徒勤労動員が行われ、 南山中学生は住 友金属、 三菱航空その他の会社の工場で労働に従事した。 ま た、 1944年末から中学校校舎は、 名古屋連隊区司令部として 接収された。 1945年初めには、 空襲を受け、 焼夷弾によって校舎西館が 半ば炎上、 焼失した。 8月15日、 戦争が終結する。 その約2週間 後の8月28日、 学園創立者ライネルス神父は、 多治見の神言修 道院で永眠したのであった。
南山総合学園の誕生
1946- 1948
南山外国語専門学校 ・ 新制高中校の設立
終戦により、 長い間キリスト教系学校に加えられてきた圧 力が取り除かれ、 学園の復興と新しい発展を図る時期が到来 した。 南山中学創設期の1933年にライネルス神父の補佐役と して招聘され、 英語の指導にあたっていたアロイジオ・パッヘ 神父 (神言会員) は、 学園の将来計画を検討していたが、 旧学 制が全面的に廃止されることを知り、 五年制中学校の上に三 年制高等学校を増設するという当初の構想を捨てて、 外国語 専門学校設立計画に改めた。 当時の中部地方には同種の学校 はなかったのである。 パッヘ神父は、 良き協力者をえてこの計 画を推進し、 1946年7月、 遂に英語科、 華語 (中国語) 科の2学 科をもつ南山外国語専門学校 (パッヘ校長) の設立が認可さ れた。 また、 この設立に際し、 法人組織も財団法人南山中学校
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- 南山学園の歩み
ラッテン神父が理事長に就任した。 の定員を半分の50名にすると同時に、 語学の実務性を強調するた め、 英文学科が英語学英文学科となるなど語学ならびに文学科と し て各学科を改称することが計画された。 だが条件が整わず、 社 会科学部増設は社会学科増設に変更された。 1950年4月、 文学部 に哲学、 教育、 社会の3学科が増設され、 同時に、 既設学科の名称 と定員の変更が行われた。 また、 この年には教員、 学生計9名がア メリカ留学に出発した。 この時期に、 一時に9名の留学生を出した のは全国的にも稀な壮挙であった。 その一方で、 四日市海星学園 の経営移管問題が解決し、 1950年3月、 南山大学附属南山第二高 等学校 (校長アルベルト ・ ボルト神父 (神言会員) ) が設立された (1952年、 南山大学附属四日市南山高等学校と改称) 。 1951年3月、 財団法人南山学園は、 学校法人南山学園 (理事 長ゲオルグ ・ ゲマインダ神父 (神言会員) ) に組織変更し、 同時 に四日市市の財団法人海星学園を併合した (1955年、 四日市 南山高等学校の経営を学校法人エスコラピオス学園に委譲) 。 1952年4月、 大学に懸案の社会科学部 (社会学科、 人類学 科) が設置され、 同年5月には学校法人長崎東陵学園を併合 し、 長崎南山高等学校 ・ 中学校と校名を変更した (1955年、 学 校法人長崎南山学園を新設し、 南山学園から分離) 。 そして、 同年11月、 南山学園は創立20周年を迎えた。 この年、 大学の モッ トーとして正式に採択されたHominis Dignitati ( 人間の 尊厳のために) は、 学園全体の建学の理念を示す言葉とし て受 け継がれ、 現在は、 その具体的な方向性を与えるために、 各学 校が統一の教育モッ トーとし て掲げている。 この言葉は、 すべて の人間の尊厳に対し て敬意を払うことがあらゆる領域の活動の 根源であり、 目的であるととらえることができる。 この言葉を選んだのは、 ボルト神父であった。 ボルト神父は、 パッヘ神父が外国語専門学校、 大学の設立を進めていたとき に、 しばしば意見を求めていた良き相談相手であり、 良き協力 者であった。 ボルト神父はこののち、 大学教授を兼ねて、 高校 ・ 中学の校長、 大学副学長、 理事長、 学園長を歴任し、 学園の発 展に貢献する。 ボルト神父の選んだこの言葉に基づいて学園の 基礎を確立したパッヘ学長は、 学園創立25周年となる1957年、 後進に道を譲る形で南山を退き、 離日した。 その後、 1969年、 パッヘ神父は、 任地アメリカから病気静養のためドイツへ帰国 の途中日本へ立寄り、 南山大学名誉学長に推戴されたが、 6月9 日、 名古屋到着の翌日に入院、 7月24日、 名古屋聖霊病院で永 眠し、 多治見神言修道院に埋葬された。
南山大学の誕生 と 発展
1949- 1957
「人間の尊厳のために」 のモットーを掲げて
名古屋外国語専門学校の大学昇格のための準備は、 1947 年7月の大学設置基準制定よりも前から行われ、 1949年の大 学開設へ向けて着々と進められた。 パッヘ校長の大学構想は 次第に確定していくが、 その理想は外国語大学ではなくアカ デミズムを重視した総合大学であった。 その計画は、 まず南山 外国語専門学校時代からある英文・仏文・独文・中国文の4学 科で文学部を設置し、 そのあと、 総合大学への発展に向けて、 順次、 学部、 学科の増設を図るというものである。 だが、 教員、 建物、 土地、 図書など定められた条件を満たすた めに多大の努力を必要とした。 神言会本部は、 経営を引き継ぐこ とになった南山学園のために、 毎年の経常費援助と、 完成年度 (1952年度) までの毎年の設立臨時費寄付を行っている。 さまざまな困難をのりこえて 、 1949年 4月 、 南山大学が開 学した。 その内容は、 文学部英文・仏文・独文・中国文の4学 科 (入学定員合計100名) であり、 第一部 (昼間部) と同時に 第二部 ( 夜間部 、 19 6 6 年廃止 ) も併設された 。 初代学長に は、 パッヘ神父が就任した。 第一部入学志願者数は約400名 と好調なすべり出しであった。 第二部は英文学科のみで、 学 制移行期の事情を考慮して第2学年が若干名募集された。 同年5月26日、 大学開学記念式典が行われた (1971年に、 こ の日が大学開学記念日と制定された) 。 同年9月、 神言会員で20世紀人類学の巨匠シュミ ッ ト博士の 系譜を継承する人類学民族学研究所 (のちの人類学研究所) が 大学附属機関として設置された。 この研究所は主としてアジア 諸地域の伝統的な民族文化を研究対象とし、 宗教人類学を中 心とする特定テーマの研究によりこれらの諸地域の民族文化の 特性と形成過程を明らかにすることを目的とし ている。 文学部発足後に、 準備中の社会科学部増設を見越し て文学部
大学開学記念式典 (1949.5.26)
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飛躍す る南山学園
1957- 1971
大学 ・ 大学院教育の拡充
1968年には経営学部 (経営学科) が設置されるが、 これは、 実業界からも期待される東海地方最初の経営学部であった。 1969年には大学院文学研究科仏文学専攻修士課程が設置さ れている。 このようにして、 南山大学は、 1949年の開学時には1学部4学 科で発足したが、 20年後の1960年代後半には、 4学部11学科2 研究科4専攻を擁する大学に発展したのである。 その一方で、 全国的に吹き荒れた学園紛争の嵐は、 1969年 から1971年にかけて南山大学にも及び、 止むを得ず機動隊の 導入にまで至る状況となった。 だが、 このような困難な事態の なかで、 南山大学教職員は事態収拾のため一致協力し、 かえっ てコミュニティ とし ての結束を固めることができた。 また南山大 学は、 紛争の処理にあたって一貫して毅然とした態度で臨み、 それが結果的に社会の信用を高めることとなったのである。
1957年、 パッヘ学長のあとをうけて、 沼澤喜市神父 (神言会 員) が大学の第2代学長に就任した。 その後、 15年にわたる沼澤 学長の時代は、 さまざまな試練に直面しながらも大学の学部 ・ 学 科の整備、 大学院の設置、 山里キャンパス(現名古屋キャンパス) への移転など、 大学の研究 ・ 教育面で著しく拡充が行われた時 期であった。 まず、 学部 ・ 学科については、 1960年に社会科学部 社会学科を母体とし て経済学部 (経済学科) が設置され、 1963 年には、 広 く柔軟な語学力養成と、 その語学力を基礎にした経 済 ・ 言語 ・ 外国文化の教育 ・ 研究を目的とし て外国語学部 (英米 科、 イスパニヤ科) が設置された。 文学部は、 1960年に人類学科 を加え、 1962年には中国文学科を廃し、 神学科を加えた。
南山短期大学の 誕生と発展
1968- 1984
他の追随を許さぬ独自の人間教育の理念のもとに
1968年、 南山短期大学 (英語科) が設立され、 南山学園は また新たな一歩を踏み出した。 初代短期大学長はフーベルト ・ フラッテン神父であった。 フラッテン神父は、 1948年以降、 神言 会日本管区長、 学園理事長、 長崎南山中学・高等学校初代校 長、 南山中学 ・ 高等学校長を歴任し ていた。 ライ ネルス神父が種 をまき、 パッヘ神父が育ててきた学園の発展を見つめてきたフ ラッテン神父は、 地域社会からの強い要請に応えて設立した 短大をユニークな教育計画で育て上げていく。 その教育方針は、 既存の短大の模 倣ではなく、 新しい理念に基づき、 社 会の要望に添いながら、 南山独自の 教育を行うことであった。 こ うした方 針によって、 南山短大に設置する学科 は、 英文科ではなく英語科となった。 英会話に力を入れ、 L L方式に頼らず 出来る限り外国人教員が直接指導に
フラッテン師
一方、 1958年、 南山大学最初の大学院として社会科学研究 科 (のちに文学研究科) 文化人類学専攻修士課程が生まれた。 これ以後、 1960年代半ばまでに、 文学研究科文化人類学専攻 と英文学専攻、 経済学研究科経済学専攻の3専攻の修士課 程、 博士課程設置が行われたのであった。 1964年、 大学は五軒家町から山里町のキャ ンパスに移転した。 新キャンパスは名古屋の市街を一望する緑濃い丘の上にあり、 斬新な建物群が機能的に配置された、 近代的キャンパスであ り、 知的探究と人間教育の場にふさわしい美しい環境を形成し ていた。
あたる時間を増やすこととした。 この
ようにして、 真の国際人たる女性を育てる場として、 女子部の キャ ンパスの一画に南山短期大学はスター トしたのである。 1971年、 短大は昭和区隼人町の新校舎に移転した。 1973年 には短大とし ては日本最初の人間関係科を増設する。 これは主 としてアメリカではじめられた行動科学的方法論を基礎とし、
山里町に移転した当時の大学新キャンパス (1964)
哲学 ・ 心理学 ・ 社会学 ・ 教育学を柱にすえ、 それらを体験学習
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- 南山学園の歩み
を中心にオールラウンドに履修することで人間関係そのものを 学ぶ学科である。 しく発展し、 対外的にも、 その名が広 く知られるようになった時 期であった。 学部、 学科としては、 1972年、 文学部に国語学国文学科が増 設され、 文学部は8学科となる。 1977年には長年の念願であっ た法学部 (法律学科) が設置された。 この新たに設置された学 部は、 南山学園の伝統・教育理念に積極的に適合しながら中 部地域社会の要望に応えるものとして構想されたのであった。 大学院については、 1970年代に充実期を迎えた。 1972年の文 学研究科仏文学専攻博士課程の設置を手はじめに、 経営学研 究科経営学専攻、 文学研究科独文学専攻、 神学専攻がそれぞ
南山短期大学キャンパス (1971)
れ、 博士後期課程まで増設され、 1981年に法学研究科法学専 攻修士課程が設置された。 1974年は大学の創立25周年であったが、 これを機に、 前述 の法学部設置や大学院充実に加えて、 新しい構想が展開さ れた。 まず、 1974年には大学に日本研究センター (外国人留 学生別科) が設置された。 これは、 外国人学生をキャンパスに 迎え、 1年間にわたり日本語と日本文化を教授するという中部 地区では初めての画期的な制度であり、 早速アメリカの大学、 研究機関などから積極的な関心が寄せられたのであった。 南 山の国際性を示す上で、 まことに有意義な試みであった。 学園の宗教精神を具現するものとしては、 1973年にロゴス ・ センター、 1974年に南山宗教文化研究所が設置された。 ロゴ ス ・ センターは従来の宗教センターを新しいかたちで継承する もので、 大学に隣接した敷地に作られ、 運営は神言会による ものであったが、 2017年に大学に移管された。 南山宗教文化研 究所は、 日本文化の形成に宗教が果たす役割の研究を目的と し、 国際的、 総合的な特色を有する研究所として設立された。 当初、 この研究所は学園によって運営されたが、 1979年に大学 に移管された。 1975年には大学本部北側の旧野球場がグリーン・エリアと して整備され、 近代的な教室棟、 研究棟を背景に、 緑のオア シスが誕生した。 このグリーン・エリアの造成に際して、 初代 学長パッヘ神父にちなんでパッヘ・スクエアが作られ、 記念碑 が建立された。 1976年にはアメリカ研究センターが設置され た。 このセンターは、 アメリカ研究における中部地区の拠点と なるとともに、 南山大学での学際的なアメリカ研究・教育を推 進することを目的としている。 1979年には南山中学校に海外 帰国子女特別学級が設置され、 その後、 1981年には中学校の 国際部、 1982年には高等学校の国際部に発展する。 1982年は南山学園創立50周年であり、 10月30日学園講堂に おける記念式典をはじめ学園内で数々の記念行事が行われ た。 特に、 大学では、 この学園創立50周年を機会に南山大学 「国際化プロジェクト」 を発足させ、 社会倫理研究所の設置、 外国語センター (ヒルシュ マイヤー記念館 〔L棟〕 ) の開設、 視聴
1974年、 アルベルト・ボルト理事長が短期大学長を兼任す ることとなり、 1977年には人間関係科の人的・物的なリソース と研究成果を広く社会に公開し、 社会の発展に寄与すること を目的とした人間関係研究センターが設置された。 このセン ターは学際的な研究活動とともに、 人間関係に関する種々の 研修を行い、 その特色ある活動は、 東海地域だけでなく全国 的にも注目された。 1979年、 ヨハネス・シューベルト神父 (神言会員) が第3代 短期大学長に就任し、 1983年には、 南山学園の知的・人的資 源を広く学外の人々に提 供することを目的として 、 語学・実 技・宗教の分野で公開講座が開設された。 この講座は、 のち にコミュニティカレッジ公開講座として発展し、 1989年に学園 に移管される。 1984年、 シューベルト学長の任期満了とともに、 ペドロ ・ シモ ン神父 (神言会員) が第4代短期大学長に就任し、 「ファミ リー ・ スピリッ ト」 を大切にする教育環境を一層充実させていった。 このようにし て 「人間の尊厳のために」 をモッ トーとする南山短 大のユニークで新しい教育の試みは人々に広 く認知されていった のである。
教育 ・ 研究の拡充と 国際化への努力
1972- 1983
地域社会との交流を深めながら
1972年、 大学では沼澤学長が退任し、 ヨハネス ・ ヒルシュ マ イヤー経営学部教授 (神言会員) が第3代学長に就任した。 ヒ ルシュ マイヤー学長は、 1983年の急逝に至るまで10年余、 学長 の職にあった。 ヒルシュ マイヤー学長の時代には、 創立以来の 「キリスト教的」 「 学究的」 伝統が継承されるとともに、 南山の 「国際的」 「地域社会的」 独自性がよ く発揮され、 南山大学が著
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- 覚教育の拡充、 日本研究センターの拡充、 帰国子女受け入れ 体制の整備、 学問的 ・ 人的交流の促進などの計画を立て、 これ に対応し て大学に国際部が設けられた。 社会倫理研究所は、 1980年に設置された南山経済倫理研 究所を1981年に改称したもので、 産業社会の発展にともなって 発生した諸問題を解明し、 現代経済社会における人間性回復 の方途を人間の尊厳の理念に基づいて探ることを目的とし てい る。 また、 1983年にはラテンアメリカ研究センターが発足した。 このセンターは、 イベロアメリカ研究センターが全面的に改組 されたもので、 ラテンアメリカの諸研究を行うとともに、 中部圏 におけるラテンアメリカに関する情報センターとしての役割を 果たし国際交流の場となることを目的とし ている。
念して外国語研究センターを設置した。 このセンターは、 「 語学 力および国際感覚の養成」 という英語科の教育理念を社会的に 実現することを目的とするもので、 人間関係研究センターととも に南山短大の研究活動の2本の柱となるものであった。 また、 こ の年、 短期大学では、 シモン学長の後を継ぎ、 宮本桂教授 (神 言会員) が第5代短期大学長に就任した。 同じく1988年、 大学では、 日本語 ・ 日本文化の研究を志す人々 を対象として、 新しい国際人、 日本語教育の専門家の養成をめ ざす外国語学部日本語学科が設置された。 1991年には神言会 の基金援助により、 大学にヨーロッパ研究センターが設置され た。 このセンターは、 広 く学際的視野に立ち、 主として現代ヨー ロッパの政治 ・ 経済 ・ 社会に関する研究を行い、 成果を大学の内 外に役立てることを目的とし ている。 1992年には大学院外国語 学研究科修士課程 (英語教育専攻、 日本語教育専攻) が設置さ れた。 外国語学では中部地方最初の大学院であり、 国内におけ る英語教育のみならず、 海外における日本語教育の発展にも寄 与できる人材の育成を目的にし ている。 1993年4月、 任期を満了したリーマー学長の後任として、 第5 代南山大学長にハンス ユーゲン ・ マルクス文学部教授 (神言 会員) が就任した。 マルクス学長の時代は、 後述 「法人合併に よる新たな出発」 にもあるように、 新学部設置、 既設学部学科 および研究科の改組といった大規模な将来構想を計画し実現 した 「改革」 の時期であった。 この年、 短期大学においても、 1991年以来理事長職との兼任 であったシモン学長の後任として、 大橋嘉男教授 (神言会員) が第7代短期大学長に就任した。 1993年は南山短期大学の創 立25周年であり、 アメリカの留学提携校4大学の学長記念講演 をふくむ記念式典および記念行事が、 全学の教職員、 学生の 協力のもとに行われた。 さらに、 この年には豊田市亀首町の地に、 南山国際高等学校 ・ 中学校 (長坂源一郎初代校長) が設立された。 この学校は、 南 山高等学校 ・ 中学校の国際部 (1981年、 1982年に設置) が、 公私 各方面の多大の援助を得て、 発展的なかたちで独立したもので ある。 この学校は、 帰国子女と外国人子女だけを受け入れる全 国でもほとんど類のない学校であり、 生徒の随時受け入れと、 入学に際し て学力のみによる選抜を行わないことを基本方針と している。 帰国子女教育は、 我が国の国際的発展にともなう課 題であり、 この学校はこ うした社会的要請に応え、 南山独自の国 際教育の伝統を継承するものである。
国際教育の深化と 情報化社会への対応
1983- 1995
真の国際人の養成へ
1983年、 急逝したヒルシュ マ イ ヤー学長のあとを受けて、 ロバー ト・リーマー外国語学部教授 (神言会員) が南山大学第4代の 学長に就任する。 リーマー学長は、 このあと1993年までの10年 間にわたって在任する。 リーマー学長の時代は、 大学の創立以 来の伝統が守られるとともに、 特に、 国際性を深める教育・研 究や情報化社会に対応する教育 ・ 研究が著しく発展を遂げた 時期であった。 1984年、 ボルト理事長のあとを受けて、 ペドロ・シモン外国 語学部教授 (神言会員) が南山学園理事長、 長崎南山学園理 事長に就任する。 ボルト神父は21年間理事長職にあり、 このあ とも1990年の急逝に至るまで、 学園長、 名誉学園長の任にある など、 その生涯を通じて学園に多大の貢献をした。 同じく1984年、 大学文学部神学科と文学研究科神学専攻博 士課程が 「在名古屋南山大学教皇庁認可神学部」 とし てローマ 教皇庁より認可され、 カトリック大学としての宗教教育の将来 に多大の期待が寄せられるようになった。 1985年には、 大学にお ける従来の視聴覚関係組織と設備が視聴覚教育センターとし て統合され、 新しい組織とし ては、 大学の内外の共同研究促進 を目的とした経営研究センターが発足した。 1986年には国際的 な高度情報化時代に対応する新しい学科として、 経営学部情 報管理学科が設置された。 また、 国際化プロジェク トの一環と して、 豪日交流基金からの援助を受けて設立準備中であった オー ス トラリア研究センターが、 社会科学の見地からの統合的な 地域研究をめざし て1986年に発足し た。 南山短期大学は、 1988年に創立20周年を迎え、 この年を記
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- 南山学園の歩み
法人合併によ る新たな出発
1995- 2011
21世紀の教学組織を構築
1995年の名古屋聖霊学園との合併は、 南山大学の将来構想 をより大きく描くことを可能にした。 特に国土法の規制対象で あった名古屋市に位置する南山大学が、 総合政策 ・ 数理情報の 2学部からなる第二のキャンパスを瀬戸市に設けることは、 名古 屋聖霊短期大学の協力なくし ては成し得なかった事業である。 当時の厳しい教育環境の下でカ トリック教育を守り、 発展させる ために、 建学の精神を共有する両学園が法人合併を実現したこ とは、 モデル ・ ケー スとし て、 内外から多くの関心を集めた。 この 合併の成果は、 各学校の学生 ・ 生徒募集にプラスになったばか りではなく、 より望ましい教学組織のあり方を考える機会とも なった。 名古屋聖霊短期大学は、 志願者減少と女子の4年制大学志向の 高まりのなかで、 2000年度には国際文化学科を新設の南山大学総 合政策学部の中に発展的に解消し、 2005年3月には生活学科も、 35年に亘る女子短期大学教育の使命を全う し て、 閉学した。 名古屋聖霊学園との法人合併が無事に完了した後、 南山学園 は、 南山大学名古屋キャンパスの改組改編に着手した。 これは 南山短期大学人間関係科の発展的解消と文学部改組への参画 をも含むものである。 人間関係研究センターは2000年に大学へ
移管され、 2002年に第8代短期大学長に就任した谷川義美教授 (神言会員) は、 英語科単科となった短期大学の入学定員増 (250名) やカリキュラム改革により活性化をめざした。 同年、 南 山短期大学コミュニティーカレッジを再開。 大学では、 文学部の 文学 ・ 語学系の学科を外国語学部に移行させるとともに、 新た に外国語学部にアジア学科を設置することとした。 1999年4月、 任期を満了したペドロ ・ シモン理事長の後任とし て、 ミカエル ・ カルマ ノ文学部教授 (神言会員) が就任した。 カル マ ノ理事長就任後、 南山学園は南山大学を中心とし て21世紀に おいて大きく飛躍するために様々な将来構想を検討し、 その方 針を打ち出し ていく ことになる。 2000年4月、 瀬戸キャンパスに総合政策学部と数理情報学部 (現在の理工学部) が開設され、 同時に名古屋キャンパスにも人 文学部と新しい外国語学部が設置された。 これにより大学は、 文系と理系の学部を擁する学際的な総合大学とし て新しい時代 を迎えた。 研究施設の充実も行われ、 2003年4月には、 これまで の南山大学の言語学研究の伝統を背景に言語学研究センター を設置した。 2004年4月には、 名古屋キャンパスの文学研究科と 外国語学研究科を改組し て人間文化研究科修士課程と国際地 域文化研究科修士課程を設置し、 瀬戸キャンパスには総合政 策研究科修士課程と数理情報研究科 (現在の理工学研究科) 博士課程を設置した。 さらに初の専門職大学院となる法務研 究科 (法科大学院) を新設した。 2005年4月には、 オー ス トラリア 研究センターと2003年に設置したアジア研究センターを統合し
名古屋聖霊学園の歩み
南山学園と合併した名古屋聖霊学園は、 聖アー ノルド ・ ヤンセンが学校教育事業を通し ての日本宣教をめざし、 1908年に日本に派遣した聖霊会 によって1948年に名古屋市に設立された。
■ 聖霊会の日本における事業
聖霊会は先ず、 秋田市で女子教育を開始し、 明治 ・ 大正 ・ 昭和と激動の 時代を経てその発展に尽くした。 秋田市の聖霊学園は、 現在、 短期大学、 高等学校、 中学校、 幼稚園の一貫した女子カ トリック総合教育機関とし て、 地域社会で高い評価を得ている。 また、 社会福祉事業の側面で、 神言会員ライネルス師の要請に応え、 金 沢聖霊病院、 名古屋聖霊病院を開設し、 老人保健施設も併設して、 地域 に開かれた保健 ・ 医療 ・ 福祉の促進に努めている。 1932年に名古屋市に南山中学校 (男子校) が設立されると、 翌年に聖 霊会も修道会本部を秋田市から名古屋市に移し、 女子の学校教育事業 への準備に入った。
■ 瀬戸市への学園移転と名古屋聖霊短期大学の開学
名古屋聖霊学園は、 中学 ・ 高校への志願者増と高まる短期大学設立の 要望に応え、 創立20周年を祝う1970年に、 瀬戸市への学園全面移転と名 古屋聖霊短期大学の開学を実現した。 時代の要請と発展に伴い、 名古屋 聖霊短期大学は学科名を家政学科から生活学科に改称し、 家政専攻は生 活文化専攻に改組して、 衣文化 ・ 食文化 ・ インテリアデザイン ・ 人間関係 ・ 教養の5履修コースに発展的に充実整備し、 栄養士養成をめざす食物栄 養専攻とともに実学的な教育を実践し てきた。 さらに、 1982年には、 短期大学で全国初の国際文化学科を増設し、 英 語 ・ ドイツ語 ・ スペイン語 ・ フランス語の特色ある4履修文化圏を設け、 世 界に広 く求められる緊要な国際化教育を推進してきた。
■ 名古屋聖霊学園の設立と聖霊高等学校 ・ 中学校の開設
戦後、 戦災と荒廃した名古屋市で、 聖霊会は女子教育として手芸教室 と看護婦養成コース、 聖霊アカデミー本科を開始し、 1948年に名古屋市 中区三の丸で財団法人名古屋聖霊学園を設立した。 1949年に聖霊中学 校、 1952年に聖霊高等学校が設置された。 終戦直後のことで、 校舎は占領 軍の米軍接収下にあった旧陸軍兵舎を借用し ての多難な出発で、 施設も、 机も椅子も、 教科書も、 不足し ていたが、 戦後の復興の機運のなかで、 シス ターたちは理想を高く掲げ、 人心を刷新する清純な教育を行った。
■ 南山学園との法人合併
1995年に南山学園と名古屋聖霊学園の学校法人合併が実現した。 両 学園を運営する神言会と聖霊会は同じ創立者から同じ使命達成のため に派遣され、 特に名古屋地区では戦後の困難な社会情勢のもとで、 それ ぞれの学校法人として各学校を設立し、 宣教教育活動を実現してきた。 時が満ち、 神の摂理のもとに法人合併が実現し、 聖霊高等学校 ・ 中学校、 名古屋聖霊短期大学は新南山学園の中にしっかりと位置づけられた。
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- てアジア ・ 太平洋研究センターを設置し、 瀬戸キャンパスに数理 情報研究センター (現在の理工学研究センター) を設置した。 2006年4月には、 ビジネス専門職大学院となるビジネス研究科 (経営学研究科より名称変更) ビジネス専攻を設置した。 (2018 年3月廃止) 2007年4月には、 共通教育英語科目を統括する英語教育セン ターを開設し、 さらなる語学教育の充実をめざし ている。 また、 法曹実務教育研究センターを開設し、 リーガルクリニックを実施 し ている。
に着手した。 そし て、 2011年4月、 南山学園の将来構想の一環と し て、 南山短期大学が南山大学短期大学部へと名称変更すると ともに、 南山大学名古屋キャンパスへ移転することとなった。 新 たな教育環境の中で、 英語教育をはじめとする南山大学とのよ り緊密な教育連携を図ることが期待される。 そうした中、 マルクス理事長は2011年4月、 新たに 「理事長基 本方針」 を発表。 「 国際性の涵養」 への取り組みを充実させ、 同 時に、 「 南山大学を中心とした質の高い学園内教育連携」 の具 現化を最重要課題として打ち出した。 これを受け、 各学校はそ れぞれのビジョンを実現すべく、 これらの課題に積極的に取り 組んでいる。 南山大学は新たな発展をめざし、 2013年4月、 理工 学研究科博士前期課程を設置、 さらにキャリア教育の充実の一 環とし て教職センターを開設した。 2014年4月には情報理工学部 を理工学部と名称変更し、 同時に、 社会科学研究科経済学専 攻博士課程、 経営学専攻博士課程、 総合政策学専攻博士課程 を設置した。 カルマ ノ学長は、 南山大学のもつすべての教育資源 を一つに集約することで、 より質の高い教育 ・ 研究を提供できる とし、 全学部 ・ 全学科を名古屋キャンパスに統合することを決定 し、 2015年4月に理工学部と理工学研究科を名古屋キャンパス に移転した。 2016年4月1日には、 神奈川県藤沢市に位置する 「学校法人聖 園学院」 との法人合併を行い、 聖園女学院高等学校 ・ 中学校、 聖園女学院附属聖園幼稚園、 聖園女学院附属聖園マリア幼稚 園が加わり、 マルクス理事長は2016年4月に新たな理事長方針 を発表した。 「 国際性の涵養」 に係る取り組みの充実と、 「 南山 大学を中心とした、 質の高い学園内教育連携」 「 地域社会への 貢献」 の具現化とともに、 これらを実現させることを目的とする 理事会のガバナンス強化を最重要課題とした。 2017年4月、 市瀬英昭南山大学短期大学部教授 (神言会員) が 第11代理事長に就任した。 また、 南山大学においては、 鳥巣義文 南山大学人文学部教授 (神言会員) が第7代学長に就任した。 同年、 南山大学は総合政策学部と社会科学研究科総合政策 学専攻を名古屋キャンパスへ移転し、 すべての教育資源を一つ に集約した。 さらに国際教養学部の開設、 外国語学部の専攻制 や、 全学的なクォーター制 (4学期制) の導入などの取り組みに 加え、 国際センターの設置や全学部における独自の短期留学 プログラム開講により、 さらなる国際化を推進した。 また、 2019 年4月には法学研究科博士前期 ・ 後期課程を同時設置した。 2020年4月、 南山大学ではロバート ・ キサラ南山大学人文学 部教授 (神言会員) が第8代学長に就任した。 南山学園は、 理事長方針の下、 設立当時からの教育理念を 踏まえながら幼稚園から大学院までの総合教育の完成をめざ し ているのである。
総合教育の完成をめざし て
2005- 現在
南山小学校の復活と幼 ・ 小 ・ 中 ・ 高 ・ 大の教育連携の充実をめざして
2005年4月、 カルマ ノ理事長は 「理事長基本方針」 を南山学園 全職員に対し 打ち出した。 この中で、 大学をはじめとする各学校 に対し 「20年後の将来像」 の策定と、 各学校の学園内での連携 推進と、 強化を求めた。 また、 南山学園の創立75周年 (2007年) 事 業を進めるとともに、 将来構想を検討し ていく中で、 学園の総合 教育にとっ て重要なことは、 学園とし ての確固たるミ ッションを初 等教育から行うことによって高等教育までの総合教育を完成さ せることであるとの結論に至り、 2006年、 小学校の設置申請の準 備に取りかかった。 南山小学校は、 1936年に設立されたが、 戦時 下の社会情勢の中、 1941年に名古屋市へ移管された経緯があり、 南山学園とし ては、 小学校の設置は 「新設であると同時に復活」 であり、 2008年3月22日、 南山大学附属小学校とし て開校した。 同校の設置概要は、 入学定員90人 (1学年3学級) 総定員540 人 (6学年18学級) であり、 初年度 (2008年度) は、 1年生から3年 生までを募集し、 2008年4月6日、 入学式を迎えた。 初代校長には、 ハンス ユーゲン ・ マルクス神父 (第5代南山 大学長、 人文学部教授) が就任した。 マルクス神父は、 1993年か ら2008年までの15年にわたり南山大学長を務めた。 そのマルク ス神父が小学校長に就任することは、 南山大学の関与を目に見 える形で地域社会にアピールすべきと判断したから である。 同じく、 2008年4月、 任期を満了したカルマ ノ理事長は第6代 南山大学長に、 そし て、 マルクス神父はカルマ ノ理事長の後任と して理事長にそれぞれ就任した。 南山大学は、 「 個の力を、 世界 の力に。 」 をビジョン ・ キーフレー ズとし て、 「世界から選ばれる大 学」 「 世界に人材を輩出できる大学」 の実現に向けて、 さらなる 改革と内なる充実に取り組ん でいる。 一方、 南山短期大学では、 2008年4月に鳥巣義文南山大学人 文学部教授 (神言会員) が第9代学長に就任し、 創立40周年記 念感謝ミサを祝うとともに、 高等教育分野での学園内教育連携 の証とし て、 短期大学を南山大学短期大学部へと刷新すること
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- 年 表
1909年 1932年 1936年 1946年 1947年 1948年
8月 ■南山学園創立者ライネルス神父来日 1月 ■財団法人南山中学校設立 (名古屋市中区五軒家
町6番地の1=現在、 昭和区五軒家町6)
1968年 1970年
4月 ■南山短期大学 (英語科) 設立
■大学に経営学部を設置
1月 ■名古屋聖霊短期大学 (家政学科) 設立 (学校法人
名古屋聖霊学園)
1月 ■南山小学校設立 (1941年3月名古屋市に移管)
4月 ■聖霊高等学校 ・ 中学校 瀬戸市せいれい町に移転
1971年 1972年
7月 ■財団法人南山中学校を財団法人南山学園に組織変更 ■南山外国語専門学校 (英語科 ・ 華語科) 設立
■外国語専門学校に独語科 ・ 仏語科を増設 (8月名 古屋外国語専門学校と改称、 1951年4月廃止)
4月 ■南山短期大学 昭和区隼人町の新校舎に移転 4月 ■大学院経営学研究科を設置
4月 ■学制改革により新制南山中学校 (男子部) 設立
1973年 1974年
4月 ■南山短期大学に人間関係科を増設 (2001年3月廃止) 10月 ■大学に隣接してロゴスセンター開館 (2017年4月
神言会から大学に移管)
■南山中学校に女子部を設置 (男子部) に定時制を併設 (1953年3 5月 ■南山高等学校 月廃止) トリ ック名古屋教区 10月 ■財団法人南山学園の経営をカ から神言修道会に委譲 (名古屋市中区三 12月 ■財団法人名古屋聖霊学園設立 の丸)
4月 ■新制南山高等学校 (男子部) 設立
4月 ■大学に日本研究センター (外国人留学生別科) を設置 11月 ■学園に南山宗教文化研究所を設置 (1979年4月
大学に移管)
1976年 1977年 1979年 1980年 1981年 1982年
4月 ■大学にアメリカ研究センターを設置 4月 ■大学に法学部を設置 9月 ■南山短期大学に人間関係研究センターを設置
(2000年3月廃止)
1949年
4月 ■南山大学 (文学部英文 ・ 仏文 ・ 独文 ・ 中国文の4学科)
設立 (中国文を1962年4月廃止、 英文を2004年3月廃 止) 同第二部 (夜間部) を併設 (1966年3月廃止) ■聖霊中学校設立(財団法人名古屋聖霊学園) (後に人類学 9月 ■大学附属人類学民族学研究所設置 研究所と改称)
4月 ■南山中学校に海外帰国子女特別学級を設置 5月 ■大学に南山経済倫理研究所を設置 (1981年6月
社会倫理研究所と改称)
1950年 1951年
3月 ■大学附属南山第二高等学校設立 (1952年大学附属
四日市南山高等学校と改称)
変更 同時に四日市市の財団法人海星学園を併 合 (1955年3月四日市南山高等学校の経営を学校 法人エスコラピオス学園に委譲) ■財団法人名古屋聖霊学園を学校法人名古屋聖霊 学園に組織変更 4月 ■南山高等学校に女子部を設置
3月 ■財団法人南山学園を学校法人南山学園に組織
4月 ■南山中学校に国際部を設置
■大学院法学研究科を設置 (2004年3月廃止)
4月 ■南山高等学校に国際部を設置
1952年
■大学に国際部 (日本研究センター ・ アメリカ研究 センターを包含) を設置 ■ 名古屋聖 霊短 期大学に国際文化学 科を設 置 (2001年3月廃止) (学校法人名古屋聖霊学園)
4月 ■大学に社会科学部を設置
■聖霊高等学校設立 (学校法人名古屋聖霊学園) 5月 ■学校法人長崎東陵学園を併合 長崎南山高等 学校 ・ 中学校と校名変更 (1955年2月学校法人長 崎南山学園を新設し学校法人南山学園よ り分離)
1983年 1984年 1985年
4月 ■大学国際部にラテンアメリカ研究センターを設置
■南山短期大学に南山公開講座開設
1953年 1958年 1960年 1963年 1964年
3月 ■大学神学科 ・ 大学院神学専攻課程が 「在名古屋南山
11月 ■南山高等学校女子部 昭和区隼人町の新校舎
(現在地) に移転 (中学校女子部は1956年4月同地 に移転)
大学教皇庁認可神学部」 と し てローマ教皇庁によ り 認可
4月 ■大学に経営研究セン ター ・ 視聴覚教育セ ン ターを設置 5月 ■大学国際部にオーストラリア研究センターを設置
4月 ■大学院社会科学研究科を設置 4月 ■大学社会科学部を発展させて経済学部を設置
■大学院社会科学研究科を文学研究科と改称
1986年 1988年
4月 ■南山短期大学に外国語研究センターを設置
4月 ■大学に外国語学部を設置
■名古屋聖霊短期大学家政学科を生活学科へ改称 (学校法人名古屋聖霊学園)
■大学院経済学研究科を設置
1989年
4月 ■学園に南山公開講座を移管しコミュニティカレッ
ジ公開講座と改称
4月 ■大学 昭和区山里町の新校舎 (現在地) に移転
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- 1991年 1992年 1993年 1994年 1995年 2000年
4月 ■大学国際部にヨーロッパ研究センターを設置 4月 ■大学院外国語学研究科を設置
・ 中学校国際部を発展させて南山国際 4月 ■南山高等学校 高等学校 ・ 中学校設立 (豊田市亀首町)
2011年
4月 ■南山短期大学を南山大学短期大学部に名称変更
(2020年3月廃止) ●大学名古屋キャンパスに移転 ●コミュニティカレッジ公開講座を南山エクステンション ・
カレッジに統合
2012年 2013年
10月 ■法人本部を移転 (昭和区南山町1) 4月 ■大学名古屋キャ ンパス
3月 ■大学国際部を改組
4月 ■コミュニティカレッジ公開講座を大学と南山短期 6月 ■学校法人名古屋聖霊学園と合併 4月 ■大学名古屋キャ ンパス
に名称変更
●教職センターを設置 ■大学瀬戸キャ ンパス ●大学院数理情報研究科を改組し理工学研究科を設置
大学に移管
2014年
4月 ■大学名古屋キャ ンパス ・ 瀬戸キャ ンパス
究科を改組し、 社会科学研究科を設置
ビジネス研究科、 総合政策研 ●大学院経済学研究科、
●文学部と外国語学部を学科改組し、 文学部を人文学部
■大学瀬戸キャ ンパス開設 (2017年3月閉鎖) ●総合政策学部を設置 ●数理情報学部を設置 ■大学に人間関係研究センターを設置 ンパスキリ ス ト教セン ターを設置 ■学園に瀬戸聖霊キャ (2017年3月廃止)
■大学瀬戸キャ ンパス ●情報理工学部を理工学部に名称変更 ●数理情報研究センターを理工学研究センターに名称 学園 9月 ■南山学園史料室と南山大学史料室を統合し、 に南山アーカイブズを設置
変更
2015年
ンパス 4月 ■大学名古屋キャ
パスに移転
2002年 2003年 2004年
4月 ■大学名古屋キャンパスに南山エクステンション・
カレッジ開設
●理工学部を名古屋キャンパスに移転 ●大学院理工学研究科 ・ 数理情報研究科を名古屋キャ ン
4月 ■大学名古屋キャ ンパスに言語学研究セン ターおよび
アジア研究セン ターを設置
●理工学研究センターを名古屋キャンパスに移転 11月 ■学園 ●南山アーカイブズに常設展示室を開設
2016年
4月 ■大学名古屋キャ ンパス
4月 ■学校法人聖園学院と合併
■大学名古屋キャ ンパス ●情報センターを設置 ●コンプライアンス室を設置 ● IR推進室を設置
(法科大学院) 法務専攻専門職学位課程を設置 ●法務研究科 ●大学院文学研究科および外国語学研究科を改組し、
■大学瀬戸キャ ンパス ●大学院総合政策研究科を設置 ●大学院数理情報研究科を設置 ■大学サテライ トキャ ンパスを設置 (2010年3月閉鎖)
人間文化研究科および国際地域文化研究科を設置
2017年
ンパス統合 4月 ■大学キャ
ンパスに移転
2005年
●総合政策学部を名古屋キャンパスに移転 ●大学院社会科学研究科総合政策学専攻を名古屋キャ ●国際教養学部を設置 ●国際センター、 外国語教育セン ター、 体育教育センター、
保健セン ター、 キリス ト教センターを設置
3月 ■名古屋聖霊短期大学閉学 4月 ■大学名古屋キャ ンパス
ス ト ラ リ ア研究セ ン タ ー と ア ジア研究セ ン タ ーを統合し、 ●オー
■大学サテライ トキャ ンパス (2007年4月に大学瀬戸 ●数理情報研究センターを設置
キャ ンパスに移転)
アジア ・ 太平洋研究センターを設置
2019年
4月 ■大学
2006年
●大学院法学研究科を設置
4月 ■大学名古屋キャ ンパス
●大学院経営学研究科をビジネス研究科に名称変更 ●大学院ビジネス研究科ビジネス専攻専門職学位課程
を増設 (2018年3月廃止)
2007年
4月 ■大学名古屋キャ ンパス
を設置
●英語教育センターを設置 ●法曹実務教育研究センターおよびリーガルクリニック
2008年 2009年
4月 ■南山大学附属小学校開校
ンパス 4月 ■大学瀬戸キャ
●数理情報学部を情報理工学部に名称変更
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- 聖園学院の歩み
聖園学院の設置と歴史
1920 - 2016
聖園学院の設立母体である聖心の布教姉妹会は、 南山学園 の創立者でもある ドイツ 人ヨゼフ ・ ライ ネルス神父 (新潟教区長) により、 1920年 「聖心愛子会」 の名称のもとに創立され、 1926年 にローマ教皇庁から教区律修道女会とし て承認された。 その後 1949年、 教皇権下の修道会となり、 1975年その精神と目的を適 確に表わすものとして会の名称を 「聖心の布教姉妹会」 と改名 した。 1946年に当修道会によって旧制 「聖園女学院高等女学校」 が設立、 1948年に 「聖園幼稚園」 が設立され、 その後、 1951年に 「学校法人聖園女学院」 として認可された。 1966年には 「聖園 マリア幼稚園」 が設立された。 2016年に、 ライネルス神父による歴史的なつながりが深く、 教育理念も共通している南山学園と聖園学院との学校法人の 合併が実現された。 今後もライネルス神父の精神を長く継承し たいという考えに基づいた合併であった。
年表
1920年 1943年 1946年 1947年 1948年 1949年 1951年 1966年 1976年 1979年 2004年 2011年 2014年 2015年
5月 ■聖園女学院の設立母体である財団法人聖心愛子会 (のちの宗教法人聖心の布教姉妹会) 創立
4月 ■現聖園幼稚園の前身である聖園戦時保育所開設
4月 ■旧制聖園女学院高等女学校設立 4月 ■聖園女学院附属小学校設立
2月 ■聖園女学院中学校認可 4月 ■聖園幼稚園設立 3月 ■聖園女学院高等学校認可 3月 ■学校法人聖園女学院として組織変更
4月 ■聖園マリア幼稚園設立 1月 ■学校法人聖園女学院を学校法人神奈川聖心 の布教姉妹会に名称変更
3月 ■聖園女学院小学校休校
4月 ■聖園女学院小学校廃校 ■学校法人新潟聖心の布教姉妹会と合併
旧校舎全景
10月 ■学校法人神奈川聖心の布教姉妹会を学校法人 聖園学院に名称変更 3月 ■新潟聖園マリア幼稚園閉園
4月 ■聖園幼稚園を聖園女学院附属聖園幼稚園、 聖 園マリア幼稚園を聖園女学院附属聖園マリア 幼稚園に名称変更 4月 ■学校法人南山学園と合併
2016年
創立当初のシスターによる授業の様子
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- 70年の時を経て 今
「学校法人聖園学院 聖園女学院」 は、 今 年設立70周年を迎えます。 同時に新しい歩み として2016年4月1日に、 本法人は学校法人 南山学園と合併しました。 学校法人聖園学院の創立母体の創立者 であり、 南山学園の創立者でもある神言会 員ヨゼフ・ライネルス師は、 神言会の創立 者聖アー ノルド ・ ヤンセン師の深い思い、 日本 に教育の種をまくことを 「神の使命」 として、 ゆ るがない神への信仰のもとに長い困難の道を 最後まで忠実に誠実に歩ん で参られました。 70年の時を経て、 今、 神の大きなはからい の中に二つの法人が一つになるということは、 神の神秘です。 その恵みと祝福を感謝致し ます。 神のみことばが人となられ、 十字架につけ られて死なれました。 復活された主は、 慈し みの聖心を人々におしみなく開かれ、 聖霊の 導きのもとに、 今も共に歩んでくださっておら れることを信じます。 今、 フランシスコ教皇様はこの記念すべき 年を、 イエスの慈しみの年として宣言され、 イエス様が苦しむ人々と共に歩まれたように、 人間の尊厳を最も大切にされ、 ご自身のこと ばと行いをもって、 先を歩いてゆかれておら れます。 南山学園の長い歴史の中に、 今も教育の 理念が生き生きと実施され、 これからもより 受け継がれていかれますよう祈り願うもので あります。 (2016年)
第5代聖園学院理事長
後藤 澄子
雪景色の旧校舎
正門から見た旧校舎
みこころの庭と生徒たち
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- 学園と私
理想は高く
ヨ ゼフ ・ ラ イ ネルス
南山学園創立者
ると思えるあらゆる徳目を一身に備えている偉人を模範と してさがし求めなさい。真の理想の神聖な場所は高い山頂 にありますから、 それがみつかったら、すぐにのぼりはじめ なさい。時間をムダにすることはできません。明日からはじ めようなどといっておれば、自分に与えられたチャンスを 失ってしまいます。君は一人の誠実な国民になりたいと思 いますか。それならまず御両親にとって、よい子供におなり なさい。力づよい人間になりたいと思いますか。それならま ず学校のよい生徒におなりなさい。「子供は、大人の父であ る」(三つ子の魂、百までも)。
若者は誰でもみな、自分の理想を追い求めています。もし 理想がなければ、結局自分もつまらない人生をおくる人達 -この人達は国家と国民に意義ある奉仕をすることができ ず、 そのために自分も無価値の存在となり人生を目的なし におくってしまうだけ-の仲間となり、 やがてその中に埋も れてしまうだろうと、彼は感じて知っているのです。 彼の理想はキッと高く -大空の星座にまでのぼるにちが いありません。彼の若い心の中には次のような確信がある のです-。 『 高く昇るために 努力しよう たとえ 、 目的に達せられなくても 、 目的なく 、 価 値ない人 生をただようより 、 それは 、 はるかによいことなのだ! 』 若者は、人生の使命-忠誠と親への愛、正義と公正、純真 と正直、勤勉と精励、謙遜と清潔-へ向う準備として努力す る時に、自分の持つ理想が自分自身を推しすすめてくれる ことを期待しています。人間はもともと、自分自身が善良な 人になり、他人に対しては善を行なうように生まれついて いるのですから。 さて生徒諸君。この崇高な理想を求め、実現しようとする ために、私から諸君に申し上げたい忠告があります。それ は「君の模範としたい偉人を一人えらびなさい」ということ です。君の理想からみて、これこそやり甲斐のある目標であ
各国家は皆指導者を求めています。知識階級にとって、指 導者を養成することは、聖なる義務です。人は指導者に成 長しなければなりません。若者は目標に向ってスタートをき ることができる特権を与えられているのです。 それでは諸君! 完全なスタートをきろう。 前進しよう、君を山頂に導いてくれる君のえらんだ偉人の あとを追って -目的地の山頂には、君を最後の勝利に導く 君の理想が、壮厳な栄光につつまれて立っているのです。 (1934年)
南山大学の特色
アロイ ジオ ・ パ ッヘ
初代南山大学長
南山大学は、日本私立大学連盟に加盟し、我が国の教育 機関の間に、確固たる地位を占め、他の諸大学に伍して、高 等教育の共通使命達成に、参与するものである。本学が、本 学独自の特色を有することは、他の先輩諸大学と同様であ
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- るが、このことは内外に於て、次第に認められつつあるので ある。この特色を要約すれば、次の三点となる。 一、カトリック教をして、教育原理、教育施策の基盤たらし め知的・情操的・並びに道徳的に円満な人格をめざし、こ れを以て、人間を、 その達し得べき最高の尊厳へと導く資と するのである。これこそは南山の有する究極の目的であり、 “Hominis Dignitati"(人間の尊厳のために)なるモットーに、 遺憾なく表明されているのである。 二、特に南山の教育目標は、次の如き特性を具えた青年 子女を育成することに向けられている。(イ)広い教養。かか る教養を修得するために、近代的方法に依る外国語の研鑽 に重きが置かれている。(ロ)高い理想に燃える人格。かか る人格は、人生の宗教的把握を通じて到達されるものであ るが、 その宗教的把握なるものは、理想達成の手段として 奨励され、明確に、しかも何等強制されることなく指導せら れるものである。(ハ)強い責任感。個人並びに社会的存在 として、一般的、特殊的諸業務に対する強い責任感を養成 するために、学生の自己淘汰には特に意を用いて計画がな され、これを補うために良心的指導組織が存在する。 三、当地方諸大学のうちにあって、南山大学はその特異 なる特徴として、国家の諸問題を国際的基準にたって処理 し得る様な、国際的精神を持った学生をつくり上げるのを 目的としている。従ってこの目的達成のために、本学は次の 手段を学生の手に託している。(イ)諸外国よりの強力な学 者陣、並びに国外に於て学業を研鑽した有能な日本人教授 陣。(ロ)国際的範囲に渉る書籍、雑誌を擁する図書館。(ハ) 最も将来性ある卒業生たちの為の国外留学生制度。(現在 15名が外国の諸大学に、留学中である。) 新制大学として、南山大学は新学制が真摯に遂行せら れた場合、 その究極的成功を信ずるものである。新学制は、 現在、本学当局者の最も重要な関心事であって、学究運営 両面にわたる討論を通じ真に民主的な方針に従って、教科 の教育方法、教授、生徒間の関係等の改善に、大いに努力
しつつある。 創立後日猶浅きことのために、不可避的に生ずる諸欠点 に或程度悩みつつも、南山大学は、高等教育の分野に於け る重要な因子としての健全な発展を国の内外を問わず確 信を以て予測せられるまでに生長して来ているのである。 (1953年)
HOMINIS DIGNITATIに ついて
第7代南山学園理事長
アルベル ト ・ ボル ト
1947年のある日、上智大学クルトゥール・ハイムにあった 中央事務局から四ッ谷駅に向う帰り道で、突然、 “the Dignity of man"“Hominis Dignitas"という言葉が私の脳裡 にひらめき、これこそ、 今の社会に最も大切なことであると いう考えが、私の心に強くうったえるものとして迫ってきた のであります。結局、人間とは何であろうか、人間は生物学 的に進化した唯一の動物である。あるいは、人間というもの は自然を破壊し、征服するものである。人間はただ法律の 対象になるものである。あるいは、「人間は万物の尺度 “metros"である。」さらに、人間は神のimage(似像)である。 というように、人間を様々に考えることによって、将来の社 会は異なって来るものであります。私は、「 人間の尊厳」をめ ぐって考え、しばらくの間、道端に立ちつくしていたのであり ます。この時いらい、私は終始人々とこの考えについて話し 続けたのであります。そして、南山大学の大講堂(現南山学 園講堂)が完成し、大学の新しいモットーを定めるときに “Hominis Dignitati"を提案したのであります。
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- 学園と私
この“Hominis Dignitati"すなわち、「 人間の尊厳」という 言葉は、私の人生体験から生まれでたものであります。私 は三つの戦争を体験し、ドイツの革命や、インフレーション、 全体主義の暴力的な事件も経験し、 そこに繰返されたさま ざまの災い-今日までもつづいている不幸な情況をも体 験して来ました。また、第二次世界大戦を東京で体験し、 そ こでもまた、随分多くの不幸な出来事を見ました。道徳的な 頽廃、精神的な真空状態をみて、また、東京の廃墟をみつめ ながら、果して人間の価値はどこにあるのかを考えると、心 は傷むばかりでした。私はそれらのことを正視することは できませんでした。人間はなぜこのような混乱や災いのた めに生れてきたのだろうかと疑わざるを得ませんでした。 そして、一人一人が他の人々を深く尊敬し、国家間において 相互の国民の尊厳を重んじ、互いに理解することは、人間 にはなぜできないのだろうかという疑問が、私に「人間の 尊厳」の重大性を悟らせたのであります。 「人間の尊厳」における人間の概念はキリスト教の信仰と キリスト教の世界観から生れでた概念であります。人間は 神の象(かたどり)として造られたものであります。人間は すべて等しく天に在す父なる神の子であり、この人間は永 遠に神と一致して存在するために召し出されている人間で あります。このような人間の概念や人間の尊厳をもってい る人間であれば、様々の国家間の相違は縮められるもので あります。 (1972年)
一般に開学記念日の主旨は、 その大学なり学園の創立を 記念し、創立の理想また意義を反省し、将来に向ってその理 想の実現について考えることにあると思います。 さて南山学園の創立は1932年。創立者ヨゼフ・ライネル ス神父が亡くなられたのは1945年(8月28日)、したがっ て南山学園創立者が亡くなられてから今年が25年目にあ たります。南山大学の創立者アロイジオ・パッヘ神父はライ ネルス神父の右腕として協力され、学園創立の理念をその まま受け継いで1949年、南山大学を創立いたしました。 南山学園の創立から南山大学創立を通じて 一貫している 教育の理念は、キリスト教精神にもとづく人間の尊厳にあ りました。勿論この理念を基礎とする南山大学創立にあ たって「研究と教育の場」という大学一般の使命が新たに 打出されたのはいうまでもありません。南山大学はこうし た教育理念を基礎に、南山学園の一環として創立されたの であり、ここに南山大学の特色があります。 今日、日本だけではなく世界の各国において大学の改革 が論ぜられ実施されつつあります。学問と技術、社会事情 などに大きな進歩と変化がみられるこの時代において、大 学の教育と研究、組織と管理等の面にも改革が必要なの は当然であります。しかし、南山大学が、南山学園の一環と して創立され、存在を続ける以上、すべての変革は当然南 山大学の特殊な存在と使命を、よりよく実現するためとい う方向において行なわれるべきでしょう。 南山学園の教育理念であるキリスト教精神に基づく人間 の尊厳と研究・教育の場としての大学の使命との間に、何 か合致しないものがあるのでは?と疑念をもつものがある かも知れません。しかし、学問の本質は、学問それ自身の内 部から展開され発展するものであります。こういう学問の 本質に対しては、研究を根本的使命とする大学においては、 何ものも矛盾や対立できないことは云うまでもありません。 ただ忘れてならないことは、一般社会の人々はもちろん、何 びとと云えどもただ学問だけにつきる存在ではない、とい
建学の精神を憶う
第2代南山大学長
沼澤 喜市
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- うことです。在来の伝統的表現に従えば、人間は知・情・意 を具えた人格的存在であり、社会生活を行なっているもの です。人間というものは、片寄った一面からだけ把えられる べきものではなく一人一人の人間が「全人」即ち「現実に生 きているあるがままの人間」として考えられるべきであり ます。こういう「全人」的人間の形成を目標に掲げたのが南 山学園のキリスト教に基づく人間の尊厳という教育理念で あります。 一つの私立大学で、しかも特殊な使命をもって創立され、 その伝統の下に存続している南山大学のような大学にとっ ては、開学の理念を反省することは、国・公立の大学以上に 大切であります。そこには、変革されるものと、され得ない ものがあるからです。その意味で、きょうの開学記念式典に あたり特に本学園創立と本学開学の理念を、簡単ではあり ますが反省してみました。 いずれ、あらためて、 今は故人となられた学園創立者及び 大学創立者が、創立に際して抱いておられた理想、教育の 理念などを、より具体的にまとめてふりかえり考える機会 をもつことが大切であると思います。 (1970年)
た長年に亘って若い日本人の教員を学位取得あるいは研 究のために、海外留学させるように努力してきた。この課程 で南山大学は学問的レベルにおいても、日常的レベルにお いても、東と西の対話が重要な役割を果している場として 名声を博してきた。 南山の創設者達が海外から日本に到来した時に抱いて いたのと全く同じ普遍的な精神で、日本で伝統的に強くみ られる偏狭なナショナリズムを超越して、国際性を志向す る教育計画を現在も推進し続けているのである。それぞれ の文化にはそれぞれの制約があり、したがって全地球的な 共通善を追求するために他の文化と協力しなければなら ない、という意識をこの国際的視野は芽生えさせてくれるし、 また国際的な十字路を創り出し、ここを通過するすべての 人が異なった文化背景をもつ人の目を通して、自らの文化 遺産のもつ深み、美しさを再認識させてくれるのである。 若い教員を可能な限り海外の大学へ、少なくとも1年間 は留学させたいという方針、外国語、外国文学に関する科 目の重視、学生が外国の大学で1年間勉学の機会が得られ る海外留学制度、外国の学者が南山の招請により、本学で 1年間教育・研究に従事するという招聘教授制度、日本研
国際的視 野
第3代南山大学長
究センターで開講される科目の受講のために、海外からの 留学生を受け入れる制度等々は、南山大学が志向する異 文化交流計画の中で重要な役割を担うものである。 南山大学は、キリスト教精神、卓越した学問的水準、地域 社会との協力、国際的視野-この四つの特徴の一つ一つ を通して、人間の尊厳のために奉じるという誓約に応えよ うとしているのである。われわれが、成功か不成功かを問 わず、この事業を遂行する際に常に銘記していたいと思う ことは、われわれが自分自身に属する身ではないというこ
ヨ ハ ネ ス ・ ヒ ル シ ュ マ イ ヤ ー
設立の当初から現在に至るまで、 その小さな規模からは 考えられないほどの広範に亘る国際的な連繋を有している ことは、南山大学の特色の一つとして誇るべきものである。 その教授陣には常に多数の外国人学者・研究者を擁し、ま
とである。われわれは自分達が真に属するものによって、短 期間この世にいわば貸し付けられている身である。互いに 力を合わせ、愛の精神で、われわれはその信託に応えるこ とができるのである。 (1979年)
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- 学園と私
真の国際性と 宗教性
第8代南山学園理事長 第4代南山学園長
学園が果たすべき役割はなんだろうか。 世界には様々な宗教が存在する。人々はそれぞれの宗教 を信奉し、 その教えに従う。しかし、 それだけでは十分では ない。自分の宗教の教えにとどまり、 それだけを敬うのでは 独善に陥る危険性がある。視野を広げ、より大きな世界を 理解していくには、他の宗教を知り、互いに認め合い、尊重 しあっていくことを学ばなければならない。このような根源 的な「相互理解」の精神こそ、南山が掲げる「人間の尊厳の ために」Hominis Dignitatiというモットーにふさわしい精
ペ ドロ ・ シモン
今日、教育の重点は何か、との問いに対して、世界的な視 野を与えることとか、国際性を養うこととか答える人も多 いと思う。しかしその前に、教育の基本として教えていかな ければならないのは、 そうした国際的な視野を支える次元、 つまり、自分たちの存在基盤としての国という視点に立って、 その基礎を固めていくことではないか。国際的な関係を支 えているのは一つ一つの国という単位であり、この国とい う単位を看過しては真に国際的な視野は生まれてこないの ではないか。ある国の歴史、 そこに芽生えた文化、 その国の人々 が時の流れのなかで作り上げてきた思想、 そこで生まれた 文学など。こうした様々な要素を教え、自国に固有なものを 理解させ、 その理解の中から自分の国に対する愛情を育む ということ。自分の国の人々が歩んできた道筋を知り、同一 の大地で確かな未来を模索するということ。 ここまで私は、真の国際性の出発点とは、各人が自らの 現実を築いている基盤をしっかり把握することにある、と述 べてきたが、 そうした個としての視点にグローバルな視点 を付与するさらに深い次元があり、 それが宗教性である、と 思う。人は自国に根ざした思想や知識に支えられ、宗教が 有する普遍的価値観に照らされて、より国際的な視野を獲 得することができる、と思う。 日本では古くから、人々の暮らし、習慣、行事など様々な 分野において、神道や仏教が非常に重要な役割を果たして きた。その日本で、カトリックを最高理念として掲げる南山
神である。南山大学の宗教文化研究所はこうした考えに基 づいて、諸宗教間の対話をひとつの大きな柱として創立さ れたものである。諸々の宗教を信奉し、諸々の文化に生き る人々が互いに心を開いて、より深く大きな理解の道を探る。 多様な世界状況の下、認めあい尊重しあうことで、新しい 21世紀の世界を拓くための愛と知恵を現実のものとして いく。私は、南山における学問と国際性の推進に力を注い だ沼澤神父やヒルシュマイヤー神父らの意図を継続させて いきたいと思う。 今、南山大学に総合政策学部と数理情報学部という二つ の新しい学部が誕生しようとしている。こうした学部ではコ ンピューターなどの情報機器を多用して教育が行なわれて いくことだろう。いうまでもなく、情報機器の導入は相互の コミュニケーションを容易にする。身近なところから国際社 会に対しての働きかけが可能となり、またその逆に、世界の 情報の獲得もできる。今後この傾向はますます増大してい くことだろう。こうした状況にあって、教育とは知識のみをイ ンプットするロボットに対するようなものではなく、学生の 一人一人が人間として自己を確立し、健全で深い思想の持 ち主となるよう、 その現場においては今まで以上の努力が 求められるであろう。換言すれば、学生の世界観および人 格や学問の形成にあたって、何よりも「人間の尊厳」を踏ま えた教育が実践されていなければならない。とりわけ、人 間と世界全体を絶えず総合的に探求する哲学や宗教を、科
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- 学技術の教育の場においても明確に位置づけしておかな ければならない。これこそ普遍的学問の府たるカトリック 大学の使命である。 人類の歴史が積み上げてきたあらやる分野の知識と知 恵を学び、さらに神の啓示によって示された「神の似姿とし ての人間」にふさわしい世界の実現に向かって、より希望と 喜びに満ちた21世紀を実現することこそ、我々の使命であ る。この使命を達成するために、若者たちがグローバルなビ ジョンと力を得ることができる真の学問と教育の場を提供 できるよう、我々はいかなる努力も惜しんではならないと 思う。 (1997年)
聖霊会は、その後、神言会ライネルス師の要請により、 1913年に金沢聖霊病院、 1947年に名古屋聖霊病院を設 立し、福祉事業にも力を注いできた。 ライネルス師が名古屋市に南山中学校を設立され、神言 会の教育事業は初めて芽生えて東海地区に深く根を下ろし た。聖霊会も本部を秋田市から名古屋市に移し、南山学園 に隣接する現在地に本部修道院を建設した。 1948年、南山 中学校に女子部が開設されたとき、聖霊会シスター数人も 教鞭をとった。 今、神言会と聖霊会が共に歩んだ90年を振り返り、名古 屋聖霊学園の設立と、瀬戸への学園移転に伴う苦難の日々 を思うとき、 それが今日の南山学園との法人合併に至る神 の摂理の道であったと思わざるをえない。 21世紀は、あらためて人間教育の本質が根底から問わ れる時代である。神言の光と聖霊の慈しみのもとに、建学 の理念を再確認し、新南山学園が21世紀に相応しい“人間 の尊厳のために"を基盤とする先進的な教育の場を聖霊 キャンパスに実現することを期待したい。それはヤンセン師 が日本宣教に意図した教育の理想実現への新たな一歩で あると確信したい。 (1997年)
共に歩む神言会と 聖霊会
トマ ・ ア ンナ ・ テ レ ン
第4代名古屋聖霊学園理事長
「神言会」と「聖霊会」の創立者ヤンセン師は、神の言葉「神 言」の光に照らし導かれ、 その神の霊「聖霊」の慈しみによっ て世界の人々が培われることを使命とする両修道会を創 立した。ヤンセン師が、 キリスト教的精神に基づく高等教育 機関の設立要請に応えて、教育と学術に優れた神言会会 員を日本に派遣したのは1907年のことであった。 当時の秋田、山形、新潟、富山等の地域のニーズに応え先 ず女子教育が緊要で、翌年に5名の聖霊会会員が来日し、 秋田市に幼稚園、女子職業学校を設立し、現在の短期大学、 高等学校、中学校、幼稚園を含む一貫した女子の教育機関 として今日の発展をみる学校法人聖霊学園の基礎が築か れたのである。
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- 学園に貢献した人々
南山学園名誉学園長
氏名 Albert Bold 年月日 1987.12.11 岸田凖一 小松日出雄 井上紫電 Anton Lämmerhirt Alphonse Hotze 小島公一郎 斎藤隆助 八木 弘 Edward Grzenia 元川房三 Hirschmer,Johannes Artur Lang Julius Abri George Pope 松浦一郎 中村 精 Albert Bold 佐藤哲夫 宮内 璋 長坂源一郎 ト部小十郎 Maria Josefa Sarrasin 伊藤孝一 宮川茂夫 石黒 毅 森 茂也 加藤道夫 松山昌司 大雄令純 Albert Dewald 泉 ひさ 阿江 茂 Louis Hanzel Charles Jarrot 内藤克彦 西脇 博 Jan Van Bragt Jan Swyngedouw 鎌田信夫 進藤義治 明石陽至 杉山俊治 須磨千穎 末重正行 飯原慶雄 倉田 勇 Eugen Rucker Pedro Simón 山田隆治 青山 玄 立松弘孝 田中春美 新井喜久夫 栗村道夫 駒井 明 枝村 茂 山本和義 Robert J. Riemer 岩見恒典 1979.4.1 1979.4.1 1979.4.1 1980.4.1 1980.4.1 1981.4.1 1981.4.1 1981.4.1 1982.4.1 1983.4.1 1983.6.16 1984.4.1 1984.4.1 1984.4.1 1984.4.1 1985.4.1 1987.4.1 1987.4.1 1990.4.1 1990.4.1 1990.4.1 1991.4.1 1992.4.1 1992.4.1 1993.4.1 1994.4.1 1994.4.1 1994.4.1 1994.4.1 1994.4.1 1995.4.1 1995.4.1 1995.4.1 1996.4.1 1996.4.1 1996.4.1 1996.4.1 1996.4.1 1996.4.1 1996.5.26 1997.4.1 1997.4.1 1997.4.1 1997.4.1 1998.4.1 1998.4.1 1998.4.1 1998.4.1 1998.4.1 1999.4.1 1999.4.1 1999.4.1 2000.4.1 2000.4.1 2000.4.1 2001.4.1 2001.4.1 2001.4.1 2002.4.1
南山学園長
氏名 Aloysius Pache 沼澤喜市 Albert Bold Pedro Simón
年月日 1949.3.29〜 1957.3.31 1957.4.1〜 1970.3.31 1983.4.1〜 1987.12.10 1999.4.1〜 2004.3.31
名古屋聖霊学園長
氏名 Pia Anna Heimgartner Hildebelta Anna Weig 嶋美恵子
年月日 1948〜 1953 1953〜 1960 1960〜 1970
南山大学名誉学長
氏名 Aloysius Pache
年月日 1969.6.18
南山大学名誉博士
氏名 Karl Tacke Ralph Thyken August Mölle Reinhold W. H. Baurs‑Krey H. C. Prälat Joseph Teusch 松本正夫 Maria Müller‑Lüttgenau Karl Rudolf Höller 桑原幹根 Friedrich Kronenberg Michael Joseph Mansfield 三宅重光 豊田英二 Willy Kraus 小島鐐次郎
年月日 1962.10.3 1966.6.28 1966.7.20 1966.12.14 1974.11.4 1974.11.4 1977.5.25 1977.5.25 1977.5.25 1982.11.26 1986.7.2 1986.7.2 1989.11.29 1989.11.29 2002.6.29 年月日 1952.5.19 1954.4.20 1965.1.26 1970.4.1 1971.4.1 1971.4.1 1971.4.1 1973.4.1 1973.4.1 1974.4.1 1974.4.1 1974.4.1 1976.4.1 1978.4.1 1978.4.1 1978.4.1 1979.4.1 1979.4.1
種類 文学 経済学 文学 経済学 経済学 文学 経済学 経済学 文学 経済学 文学 経済学 経営学 経済学 経営学
南山大学名誉教授
氏名 Ralph Thyken Arundel del Re Martin Gusinde 野崎勝太郎 木村太郎 工藤 粛 大庭征露 沼澤喜市 Alfons Migdalek 村松恒一郎 戸田正志 直井 豊 Georg Gemeinder 国分敬治 今川憲次 小林知生 Konstantin Guddorf Henry Van Straelen
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- 荻野昌利 石橋 助 三上 茂 大津 誠 五百旗頭博治 栗須公正 藤井達敬 鈴木孝夫 伴 紀子 伊藤秋男 早川正一 David Mayer 大岩 勉 玉崎孫治 岩野一郎 寺田邦昭 John Seland 長谷川利治 生野芳徳 田中恭子 長倉久子 高橋弘一 岡部朗一 富野幹雄 村本正生 美濃部重克 高橋覚ニ 横田 忍 伏見正則 友岡敏明 宮川佳三 申 七郎 櫻井健吾 山口眞人 佐々木剛志 春藤修二 長谷川雅雄 江川 憲 Hans‑Jürgen Marx James Heisig 有元將剛 練尾 毅 黒田清彦 三浦修史 村松久良光 藤原道夫 濵口吉隆 大森正樹 安田文吉 水谷重秋 Ronald Holland 津村俊充 花井 敏 中谷 実 森部 一 グラバア俊子 岡田 泉 浜名優美 木村美善
2002.4.1 2003.4.1 2003.4.1 2003.4.1 2004.4.1 2004.4.1 2004.4.1 2005.4.1 2006.4.1 2006.4.1 2006.4.1 2007.4.1 2007.4.1 2007.4.1 2007.4.1 2007.4.1 2007.4.1 2007.4.1 2007.6.22 2007.11.16 2008.3.14 2008.4.1 2009.4.1 2009.4.1 2009.4.1 2010.3.12 2010.4.1 2010.4.1 2010.4.1 2010.4.1 2011.4.1 2011.4.1 2011.10.1 2012.2.3 2012.4.1 2012.4.1 2012.4.1 2012.7.27 2013.4.1 2013.4.1 2013.4.1 2013.4.1 2013.4.1 2013.4.1 2013.4.1 2013.10.18 2014.4.1 2014.4.1 2014.4.1 2014.4.1 2014.4.1 2015.4.1 2015.4.1 2015.4.1 2016.4.1 2016.4.1 2016.4.1 2016.4.1 2016.4.1
服部裕幸 Calmano Michael 坂本 正 橋本 惠 木下 登 山田正次 髙橋広次 池上久子 石田裕久 細谷 博 佐竹謙一 近藤 仁 中矢俊博 榎本鐘司 丸山 徹 SZIPPL Richard 山田泰広 CAVALLAR Osvaldo 市瀬英昭 大谷津晴夫 斎藤孝一 坂井信三 SWANSON Paul 鳥巣義文 横山輝雄
2017.4.1 2017.4.1 2017.4.1 2017.4.1 2017.4.1 2017.4.1 2017.4.1 2017.4.1 2018.4.1 2018.4.1 2018.4.1 2018.4.1 2018.4.1 2019.4.1 2019.4.1 2019.4.1 2019.4.1 2020.4.1 2020.4.1 2020.4.1 2020.4.1 2020.4.1 2020.4.1 2020.4.1 2020.4.1
Christine Leibetseder 瀧本昭彦 賀永マキ子 大脇淳子 丸山よし 會澤俊三
2000.4.1 2001.4.1 2002.4.1 2005.4.1 2005.4.1 2005.4.1
南山高校 ・ 中学名誉教諭
氏名 一藤季雄 徳永盛和 横尾一夫 荻野秀子 小林武昌 黒宮秋夫 千波冨美子 平田 伸 小高知直 藤井輝夫 富田謙一 福山 徹 橋倉溢子 大平 稔 坂口 平 須田一男 飯島昭永 森 昭三 大橋淳一 黒川明雄 高見義朗 山田鈴夫 塚本重巳 伊藤 明 青木 舜 山下俊樹 斎藤邦弥 久田和彦 斎藤靖裕 矢谷恵滋 伊藤祐美子 加藤莞二 佐藤静真 柴田整子 渡辺くみ 長谷部勝 岩田邦子 水越淳郎 高柴 浩 上村順造 大津 彰 平川博三 星野正毅 佐々克典 饗庭駿一 岡田充弘 中島 裕 犬飼隆夫 坂田一郎 三好道憲 年月日 1982.6.25 1982.6.25 1982.6.25 1983.7.29 1987.4.1 1987.4.1 1989.7.7 1989.7.7 1989.7.7 1990.6.1 1991.4.1 1992.4.1 1992.4.1 1992.4.1 1992.4.1 1993.4.1 1994.4.1 1994.4.1 1994.4.1 1995.4.1 1995.4.1 1995.4.1 1995.4.1 1997.4.1 1998.4.1 1999.4.1 2000.4.1 2000.4.1 2000.4.1 2000.4.1 2000.4.1 2001.4.1 2002.4.1 2002.4.1 2002.4.1 2003.4.1 2004.4.1 2004.4.1 2004.4.1 2004.4.1 2005.4.1 2005.4.1 2005.4.1 2005.4.1 2005.4.1 2006.4.1 2006.4.1 2006.4.1 2006.4.1 2007.4.1
南山短期大学名誉教授 氏名 Hubert Flatten 大庭征露 清水 勇 嶺 光雄 新納嘉夫 Richard A. Merritt Albert Bold 伊藤雅子 星野欣生 大橋嘉男 堀部憲夫 田中良子 水野道子 石田幸栄 鈴木貞雄 近江 誠 宮崎公江 小知和優江 Peter Garlid
年月日 1981.4.1 1981.4.1 1981.4.1 1981.4.1 1981.4.1 1986.4.1 1987.5.8 2000.4.1 2001.4.1 2002.4.1 2003.4.1 2004.4.1 2005.4.1 2007.4.1 2010.4.1 2011.3.31 2012.4.1 2012.4.1 2012.4.1
名古屋聖霊短期大学名誉教授
氏名 田中喜平治 近藤 尚 Thoma Anna Tellen 横川文雄 細井葉子 中尾正三 鶴見 鼎 山本良子 三上稲子 年月日 1983.4.1 1985.4.1 1987.4.1 1989.4.1 1991.4.1 1994.4.1 1999.4.1 2000.4.1 2000.4.1
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- 学園に貢献した人々
本藤毅夫 松岡 博 犬飼美知子 河村剛ちよ 鈴木友子 伊藤公二 吉田信義 谷上 勝 伊藤勝人 薄島和子 渡邉紘昭 堤 正文 酒井正之 森 和夫 鍛治多喜知 松田 智 鵜飼茂雄 横田正行 野呂純二 宮川佳大 澤田擴次 宮崎はるみ 澤田秋善 木村 正 清水榮治 田上秀丸 岡 一郎 奥村説子 2007.4.1 2008.4.1 2008.4.1 2008.4.1 2008.4.1 2009.4.1 2009.4.1 2009.4.1 2009.4.1 2009.4.1 2010.4.1 2010.4.1 2010.4.1 2012.4.1 2013.4.1 2013.4.1 2014.4.1 2014.4.1 2014.4.1 2015.4.1 2018.4.1 2018.4.1 2019.4.1 2019.4.1 2019.4.1 2020.4.1 2020.4.1 2020.4.1 武田 昇 中村裕子 古橋輝明 2013.4.1 2014.4.1 2020.4.1 栗山義久 村瀬真剛 岩間潤子 瀧田洋子 鈴木裕子 福田圭子 竹内怡子 糟谷謙三 各務清子 中村政義 岩間陽子 鈴田幸代 小川チエ子 塚本 泉 蒔田 一 波田一夫 倉田啓子 山邉美津香 安田智子 則竹輝一 沢口定雄 森 義明 小川しず子 西田一子 関谷治代 安田 猛 伊藤敦子 橋田裕元 山田雅已 奥村良和 三輪典由 大川朱美 浅沼和子 井上佐智子 2010.4.1 2010.4.1 2010.4.1 2011.4.1 2011.4.1 2012.4.1 2012.4.1 2012.4.1 2013.4.1 2013.4.1 2013.4.1 2013.4.1 2014.4.1 2014.4.1 2015.4.1 2015.4.1 2015.4.1 2015.4.1 2016.4.1 2016.4.1 2017.4.1 2017.4.1 2017.4.1 2017.4.1 2017.4.1 2018.4.1 2018.4.1 2018.4.1 2018.4.1 2019.4.1 2020.4.1 2020.4.1 2020.4.1 2020.4.1
聖園女学院高校 ・ 中学名誉教諭
氏名 西江直広 金浦佐知子 平岡 功 青山剛征 坂東茂範 浜田正夫 清水ますみ 金子喜美江 鳩 憲子 佐藤正志 年月日 1966.4.1 1998.4.1 2002.4.1 2007.4.1 2010.4.1 2016.4.1 2018.4.1 2018.4.1 2018.4.1 2019.3.31
南山学園名誉職員
氏名 瀧田愼吉 櫻井正夫 松風誠人 榊原廣士 柴山朋子 春日部道 原幸子 市原豊子 中島正治 小久保俊三 西田 博 武田重之 山本勇郎 加藤ちゑ子 加藤松治 伊部 宏 村上匡男 岡崎芳彦 川島成雄 松田政子 新林麗子 坂田常蔵 清水二雄 馬場恭二 水野壽子 三田武男 十時光宏 桃田千代子 円城光子 樋口則子 木戸寿子 内藤英明 余語睦子 鈴木一富 後藤 勝 木村弘子 小林由樹恵 佐藤和彦 加藤忠夫 会沢俊昭
南山国際高校 ・ 中学名誉教諭
氏名 伊藤紫朗 浅野 尚 年月日 1994.4.1 1995.4.1
聖霊高校 ・ 中学名誉教諭
氏名 山田和子 井爪謙治 江幡ひさ 大嶽静男 加藤絹子 武内弥太郎 中井延行 伊藤 肇 山根千代美 伊藤蓉子 広幡尚司 渡辺幸男 奥 宏夫 佐々康子 杉若久男 安藤敏之 真野良子 徳竹信夫 三浦繁則 武田ミヱ子 吉田進一 梶田悠子 米倉和司 年月日 1996.4.1 1999.11.2 1999.11.2 1999.11.2 1999.11.2 1999.11.2 2001.12.1 2002.4.1 2002.4.1 2003.4.1 2005.4.1 2005.4.1 2006.4.1 2006.4.1 2007.4.1 2008.4.1 2008.4.1 2009.4.1 2009.4.1 2011.4.1 2011.4.1 2012.4.1 2012.4.1
年月日 1982.6.25 1982.6.25 1982.6.25 1983.5.27 1986.4.1 1988.4.1 1988.4.1 1989.4.1 1992.4.1 1993.4.1 1993.4.1 1993.4.1 1995.4.1 1995.4.1 1995.4.1 1995.4.1 1995.4.1 1996.4.1 1996.4.1 1996.4.1 1997.4.1 1998.4.1 1998.4.1 1999.11.2 2000.4.1 2000.4.1 2001.4.1 2002.4.1 2004.4.1 2004.4.1 2004.4.1 2004.4.1 2004.4.1 2005.4.1 2006.4.1 2006.4.1 2007.4.1 2009.4.1 2010.4.1 2010.4.1
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- ページ: 30
- 歴代の役職者
南山学園理事長
●在任期間
第9代 第10代 第11代
鳥巣 義文 ミカエル・ カルマノ 鳥巣 義文
2008〜2011 2011〜2017 2017〜2020
初 代 第2代 第3代 第4代 第5代 第6代 第7代 第8代 第9代 第10代 第11代
ヨゼフ ・ ライネルス 松岡 孫四郎 フーベルト ・ フラッテン ゲオルク ・ゲマインダ ヘルマン ・ベルテルスベック ゲルハルト ・ シュライバー アルベルト ・ ボルト ペドロ ・ シモン ミカエル・ カルマノ ハンス ユーゲン ・ マルクス 市瀬 英昭
1932〜1941 1941〜1948 1948〜1951 1951〜1957 1957〜1960 1960〜1963 1963〜1984 19 84〜1999 1999〜2008 2008〜2017 2017〜現在
名古屋聖霊短期大学長
●在任期間
初 代 第2代 第3代
マルチンヒルデ ・ シュリューテル トマ ・ アンナ・ テレン 會澤 俊三
1970〜1973 1973〜1987 1987〜2005
南山中学校長 (旧制) 南山高等学校 ・ 中学校長 (新制)
●在任期間
名古屋聖霊学園理事長
●在任期間
初 代 第2代 第3代 第4代
長谷川 小松 ピア ・ アンナ・ ハイムガルトネル マルチンヒルデ ・ シュリューテル トマ ・ アンナ・ テレン
1948〜1951 1951〜1954 1954〜1961 1961〜1995
聖園学院理事長
●在任期間
初 代 第2代 第3代 第4代 第5代
聖園 テレジア 聖園 たへ 久野 芳子 菊地 アエ 後藤 澄子
1951〜1965 1965〜1973 1973〜1991 1991〜2003 2003〜2016
初 代 第2代 第3代 第4代 第5代 第6代 第7代 第8代 第9代 第10代 第11代 第12代 第13代 第14代 第15代 第16代
ヨゼフ ・ ライネルス 高山 孫三郎 野山 忠幹 牧野 房男 アロイジオ ・ パッヘ ヨハネス ・ ポンセレッ ト アルベルト ・ ボルト チャールス ・ バルタ フーベルト ・ フラッテン 會澤 俊三 フランツ ・ トルッケンブロード ヨハネス ・ シューベルト 谷川 義美 深堀 進 西 経一 ヨセフ ・ ブルー ノ ・ ダシオン
1932〜1940 1940〜1944 1944〜1945 1945〜1948 1948〜1950 1950〜1959 1959〜1960 1960〜1966 1966〜1972 1972〜1975 1975〜1981 1981〜1987 1987〜1996 1996〜2008 2008〜2015 2015〜現在
南山大学長
●在任期間
南山国際高等学校 ・ 中学校長
●在任期間
初 代 第2代 第3代 第4代 第5代 第6代 第7代 第8代
アロイジオ ・ パッヘ 沼澤 喜市 ヨハネス ・ ヒルシュマイヤー ロバート ・ リーマー ハンス ユーゲン ・ マルクス ミカエル・ カルマノ 鳥巣 義文 ロバート ・キサラ
1949〜1957 1957〜1972 1972〜1983 1983〜1993 1993〜2008 2008 〜2017 2017〜2020 2020〜現在
初 代 第2代 第3代 第4代
長坂 源一郎 ロバート ・ リーマー リチャード ・ ジップル 山田 利彦
1993〜1994 1994〜2008 2008〜2017 2017〜現在
聖霊高等学校 ・ 中学校長
●在任期間
南山短期大学長
※2011年4月から南山大学短期大学部に名称変更 ●在任期間
初 代 第2代 第3代 第4代 第5代 第6代 第7代 第8代
フーベルト ・ フラッテン アルベルト ・ ボルト ヨハネス ・ シューベルト ペドロ ・ シモン 宮本 桂 ペドロ ・ シモン 大橋 嘉男 谷川 義美
1968〜1974 1974〜1979 1979〜1984 1984〜1988 1988〜1991 1991〜1993 1993〜2002 2002〜2008
初 代 第2代 第3代 第4代 第5代 第6代 第7代 第8代 第9代 第10代 第11代 第12代
マルチンヒルデ ・ シュリューテル 林 ハルミ 三国 重子 大野 寛二 榊 米一郎 尾崎 恵 樋口 富士夫 トマ ・ アンナ ・ テレン 伊藤 肇 大橋 嘉男 深堀 進 マイケル ・ リンストロム
1949〜1961 1961〜1980 1980〜1981 1981〜1989 1989〜1991 1991〜1993 1993〜1995 1995〜1996 1996〜2002 2002〜2008 2008〜2011 2011〜現在
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- 歴代の役職者
聖園女学院高等学校 ・ 中学校長
●在任期間
聖園女学院附属聖園マリア幼稚園長
●在任期間
初 代 第2代 第3代 第4代 第5代 第6代 第7代 第8代 第9代 第10代
白根 松介 聖園 たへ 聖園 イ グナチア 小畑 佳子 石橋 弘子 橋本 美穂 平田 スヱ子 赤羽 さち 清水 ますみ ミカエル ・ カルマノ
1946〜1947 1947〜1954 1954〜1973 1973〜1975 1975〜1981 1981〜1985 1985〜1987 1987〜2007 2007〜2017 2017〜現在
南山小学校長
●在任期間
初 代 第2代
野村 浩一 高山 孫三郎
1936〜1937 1937〜1941
初 代 第2代 第3代 第4代 第5代 第6代 第7代 第8代 第9代 第10代 第11代 第12代 第13代 第14代 第15代 第16代 第17代 第18代
聖園 イ グナチア 伊藤 トシ 村井 正子 今里 隆子 中村 敦子 富山 イツ 宮野 福貴子 橋本 美穂 髙橋 麗子 小島 靖子 近藤 弘子 宮野 福貴子 山下 説子 近藤 弘子 佐藤 昭子 平田 スヱ子 櫻井 好枝 マルチヌス オマン
1966〜1967 1967〜1968 1968〜1970 1970〜1973 1973〜1975 1975〜1978 1978〜1986 1986〜1987 1987〜1989 1989〜1995 1995〜1996 1996〜2002 2002〜2006 2006〜2014 2014〜2016 2016〜2017 2017〜2019 2019〜現在
南山大学附属小学校長
●在任期間
初 代 第2代
ハンス ユーゲン ・ マルクス 西脇 良
2008〜2014 2014〜現在
聖園小学校長
●在任期間
初 代 第2代 第3代 第4代
聖園 たへ 聖園 イ グナチア 小畑 佳子 石橋 弘子
1947〜1954 1954〜1973 1973〜1975 1975〜1979
聖園女学院附属聖園幼稚園長
●在任期間
初 代 第2代 第3代 第4代 第5代 第6代 第7代 第8代 第9代 第10代 第11代
聖園 イ グナチア 伊藤 トシ 村井 正子 今里 隆子 中村 淳子 富山 イツ 瓦田 国子 本田 登志子 山下 説子 平田 スヱ子 マルチヌス オマン
1943〜1967 1967〜1968 1968〜1970 1970〜1973 1973〜1975 1975〜1978 1978〜1987 1987〜1997 1997〜2002 2002〜2019 2019〜現在
31
- ▲TOP

- ページ: 32
- 南山学園概要
南山大学
■在籍学生数
【学部】
2019年5月1日現在
学部 年次
1年次
2年次
3年次
4年次
5年次以上
計
人文学部 外国語学部 経済学部 経営学部 法学部 総合政策学部 情報理工学部 理工学部
※2 ※1
国際教養学部 短期大学部 ※3 ※4 合計
334 344 245 253 242 271 ー 189 137 ー 2,015
※1 ※2 ※3 ※4
308 409 262 281 276 266 ー 237 148 ー 2, 187
355 389 297 300 299 300 ー 254 155 ー 2,349
372 417 255 253 320 371 ー 242 ー 2 2,232
51 125 39 43 50 65 5 45 ー 0 423
1, 420 1,684 1,098 1,130 1,187 1, 273 5 967 440 2 9, 206
2009年4月より数理情報学部から情報理工学部に名称変更。 2014年4月より情報理工学部から理工学部に名称変更。 2011年4月より南山短期大学から南山大学短期大学部に名称変更。 短期大学部は2020年3月廃止。
【外国人留学生別科】
2019年5月1日現在
正規生
年次 研究科
115
聴講生 0
博士後期課程
【大学院】
2019年5月1日現在
博士前期 ・ 修士課程
1年次 2年次 3年次以上
計
1年次
2年次
3年次
4年次以上
計
人間文化研究科 国際地域文化研究科 社会科学研究科 ビジネス研究科 法学研究科 理工学研究科 合計
年次 研究科
※
7 5 10 ー 1 31 54
13 6 13 ー ー 42 74
7 2 0 ー ー 1 10
27 13 23 ー 1 74 138
1 0 4 ー 1 2 8
2 0 0 ー ー 0 2
1 1 2 ー ー 0 4
3 1 1 1 ー 1 7
7 2 7 1 1 3 21
専門職学位課程
1年次 2年次 3年次
計
※ビジネス研究科経営学専攻博士後期課程は募集 停止しており、 在学する者がいなくなった段階で 廃止する。
法務研究科 合計
12 12
学士
8 8
0 0
20 20
短期大学士
■学位記授与数
【学部 学位記】
2019年3月31日現在
種類
文 文 (第二部) 社会科 経済学 外国研究 経営学 法学 人文学 総合政策学 数理情報学 情報理工学 理工学 合計 名古屋外国語専門学校
授与数 2018年度 累計
備考
種類 英語
授与数 2018年度 累計
備考
※短 期大学士 制度2005年 10月1日施行
ー ー ー 352 423 257 276 384 360 ー 10 220 2,282 ー
12,347 348 1,050 14,775 15,407 13,097 9,825 5,804 5,516 1,885 1,108 423 81,585 388
2006年廃止 1966年廃止 1964年廃止
7
2,684
2015年廃止
1951年廃止
32
- ▲TOP

- ページ: 33
- 南山学園概要
南山大学
【大学院 学位記】
2019年3月31日現在
修士
種類 文学 英語教育 日本語教育 法学 キリスト教思想 人類学 教育ファシリテーション 言語科学 地域研究 経済学 経営学 総合政策 総合政策学 数理情報学 数理科学 ソフトウェア工学 制御工学 合計 授与数 2018年度 累計 備考 種類 ビジネス 合計
ビジネス修士 (専門職)
授与数 累計 2018年度 備考
ー ー ー ー 0 2 4 3 1 5 2 ー 4 ー 7 12 17 57
400 72 81 136 47 61 86 138 148 233 346 67 15 377 48 49 94 2,398
2008年廃止 2007年廃止 2009年廃止 2004年廃止
ー ー
300 300
2018年廃止
法務博士 (専門職)
種類 法務 合計 授与数 累計 2018年度 備考
4 4
博士
授与数 2018年度
339 339
種類
2017年廃止 2015年廃止
文学 宗教思想 人類学 言語科学 地域研究 経済学 経営学 総合政策 総合政策学 数理情報学 数理科学 ソフトウェア工学 制御工学 合計
累計
備考
文化人類学専攻社会科学修士 (1959年度1名) 、 神学修士 (1991 年度までの33名) は修士 (文学) に含まれる。 博士 (文学) の累計のうち3名、 博士 (経済学) の累計のうち2名、 博士 (経営学) の累計のうち4名は論文博士。
ー 0 0 0 2 0 0 ー 1 ー 0 2 1 6
14 5 3 11 6 5 34 6 1 12 1 4 1 103
2011年廃止
2018年廃止 2018年廃止
■外国人留学生 別科修了者数
2019年12月31日現在
課程修了者 (累計) 単位修得 ・ 参加証受領者 (累計)
職名
3, 986 709
教授 准教授 講師 助教 計
■専任教員数
2019年5月1日現在
学部 ・ 研究科等
人文学部 外国語学部 経済学部 経営学部 法学部 総合政策学部 理工学部 国際教養学部 短期大学部 法務研究科 人類学研究所 南山宗教文化研究所 社会倫理研究所 外国語教育センター 教職センター 情報センター 体育教育センター 国際センター 保健センター 外国人留学生別科 合計
37 25 12 18 17 18 19 12 3 12 1 4 1 6 3 0 2 0 1 0 191
17 15 8 9 5 6 10 7 0 1 1 0 3 2 1 0 2 0 0 0 87
10 16 3 5 2 2 3 2 0 0 0 2 0 15 1 1 2 2 0 5 71
1 0 0 0 0 0 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 3 0 5
65 56 23 32 24 26 33 21 3 13 2 6 4 23 5 1 6 2 4 5 354
南山短期大学 ※2011年4月から南山大学短期大学部に名称変更。
■卒業者数
2019年3月31日現在
英語科 人間関係科
10,823 2,839 (2001年廃止)
33
- ▲TOP

- ページ: 34
- 名古屋聖霊短期大学
■卒業者数 (累計)
生活学科 国際文化学科
6,907 (2005年廃止) 3,092 (2001年廃止)
南山高等学校 ・ 中学校
■生徒数
2019年5月1日現在
区分 男子部 女子部 合計
中学校
第1学年 第2学年 第3学年 計 第1学年
高等学校
第2学年 第3学年 計
205 205 410
206 204 410
中学校
213 203 416 13,596 13, 199 26,795
中学校
624 612 1,236
212 200 412
195 199 394 12,929 12,453 25,382
201 200 401
608 599 1,207
■卒業者数
2019年3月31日現在
区分 男子部 女子部 合計 区分 国際部 (1992年まで) 旧制南山中学校 (1948年廃止)
高等学校
高等学校
557 1,079
中学校
教諭 養護教諭 講師 計 教諭
599
■専任教員数
2019年5月1日現在
区分 男子部 女子部 合計
高等学校
養護教諭 講師 計
22 27 49
1 1 2
0 3 3
23 31 54
35 27 62
0 0 0
1 3 4
36 30 66
南山国際高等学校 ・ 中学校
■生徒数
2019年5月1日現在
中学校
第1学年 第2学年 第3学年 計 第1学年
高等学校
第2学年 第3学年 計
ー
ー
中学校
39
39
42
61
高等学校
71
174
※2020年4月より南山国際中学校は休校。
■卒業者数
2019年3月31日現在
2,546
中学校
教諭 養護教諭 講師 計 教諭
3,647
高等学校
養護教諭 講師 計
注) 1992年までの南山高等学校 ・ 中学校国際部の卒業者数 (中学校557名、 高等学校599名) は含まない。
■専任教員数
2019年5月1日現在
5
1
0
6
21
0
2
23
聖霊高等学校 ・ 中学校
■生徒数
2019年5月1日現在
中学校
第1学年 第2学年 第3学年 計 第1学年
高等学校
第2学年 第3学年 計
200
200
中学校
183
583
241
230
高等学校
228
699
■卒業者数
2019年3月31日現在
9,291
中学校
教諭 養護教諭 講師 計 教諭
14,036
高等学校
養護教諭 講師 計
■専任教員数
2019年5月1日現在
25
1
2
28
35
1
2
38
34
- ▲TOP

- ページ: 35
- 南山学園概要
聖園女学院高等学校 ・ 中学校
■生徒数
2019年5月1日現在
中学校
第1学年 第2学年 第3学年 計 第1学年
高等学校
第2学年 第3学年 計
80
72
中学校
108
260
86
92
高等学校
107
285
■卒業者数
2019年3月31日現在
6,970
中学校
教諭 養護教諭 講師 計 教諭
7,385
高等学校
養護教諭 講師 計
■専任教員数
2019年5月1日現在
21
1
7
29
25
1
6
32
南山大学附属小学校
■児童数
2019年5月1日現在
第1学年
第2学年
第3学年
第4学年
第5学年
第6学年
計
90
92
94
95 726
96
91
558
■卒業者数
2019年3月31日現在
■専任教員数
2019年5月1日現在
教諭
養護教諭
講師
計
32
1
3
36
聖園女学院附属聖園幼稚園
■園児数
2019年5月1日現在
年少
年中
年長
計
84
86 8,209
教諭
90
260
■卒園者数
2019年3月31日現在
■専任教員数
2019年5月1日現在
計
13
13
聖園女学院附属聖園マリア幼稚園
■園児数
2019年5月1日現在
年少
年中
年長
計
53
72 6,037
教諭
82
207
■卒園者数
2019年3月31日現在
■専任教員数
2019年5月1日現在
計
10
10
南山エクステンション ・ カレッジ
開講講座数
2019年度
受講者数
受講者累計 (2002年度〜2019年度)
151
1,913
35,771
図書館
■図書冊数
2019年3月31日現在
南山大学
南山高校 ・ 中学
南山国際高校 ・ 中学
聖霊高校 ・ 中学
聖園女学院高校 ・ 中学 南山大学附属小学校
814,654
109, 126
37,065
27,768
50,012
13,866
35
- ▲TOP

- ページ: 36
- 土地および建物
2019年5月1日現在
区分 校舎等敷地 運動場敷地 その他土地 合計 校舎等建物 体育用建物 寄宿舎建物 その他建物 合計
南山大学 名古屋C
南山高校・中学
南山国際 聖霊高校・中学 高校 ・ 中学
聖園女学院 高校・中学
南山大学附属 聖園女学院附属 聖園女学院附属 小学校 聖園幼稚園 聖園マリア幼稚園
法人本部
119,767 32,490 4,960 157,217 128,219 13,393 5,485 3,946 151,043
35, 221 19,566 7,799 62, 586 35,072 5,431 ー 688 41,191
32, 463 16, 664 ー 49,127 13, 763 4,627 ー ー 18, 390
138,599 33,599 52,634 224,832 39,569 3,181 ー ー 42,750
54,914 21, 450 344 76,708 11,165 4, 235 ー 99 15,499
6,968 977 ー 7, 945 8,435 1,316 ー ー 9,751
1,799 720 ー 2, 519 1, 535 ー ー ー 1, 535
1, 080 2, 380 1, 805 5, 265 1,694 ー ー ー 1, 694
ー ー 47,912 47,912 ー ー ー 5,398 5,398
単位 : 平方 メ ー ト ル
南山学園施設
2019年5月1日現在
名称 南山学園 研修センター 南山学園 伊勢海浜センター 交流会館 (南山大学) 学生用マンション 名古屋交流会館 山里交流会館 フォワイエ南山 四ツ谷の里 伊勢市大湊町497-1 名古屋市昭和区山里町50 名古屋市昭和区山里町90
住所 名古屋市昭和区広路町隼人30
収容人員 70名 50名 56名 20名 55名 52名 35名
名古屋市昭和区五軒家町7-3 名古屋市千種区朝岡町1-22 名古屋市昭和区八雲町104
南山大学キリスト教センター (ロゴスセンター)
南山学園関連施設
2019年5月1日現在
名称 多治見修道院ログハウス ・ 研修センター (神言会) 多治見市緑ケ丘38
住所
収容人員 80名
南山学園事務組織
■専任事務 職員数
2019年5月1日現在
・ 中学 法人事務局 ・ 南山高校 大学 男子部 女子部
南山国際 高校 ・ 中学
聖霊 高校 ・ 中学
聖園女学院 高校 ・ 中学
南山大学 附属小学校
聖園女学院附属 聖園幼稚園
聖園女学院附属 聖園マリア幼稚園
計
220
9
8
8
6
10
5
2
1
269
36
- ▲TOP

- ページ: 37
- 南山学園 交通案内図
愛知県
南山学園法人事務局
〒466-0835 愛知県名古屋市昭和区南山町1 Phone:052-832-8311 Fax :052-834-9973 https://www.nanzan.ac.jp/
■交通のご案内
●地下鉄鶴舞線 「いりなか」 下車 南山教会方面へ →南山学園法人事務局まで徒歩5分
聖霊高等学校 ・ 中学校
〒489-0863 愛知県瀬戸市せいれい町2 Phone:0561-21-3121 Fax :0561-82-2025 http://www.seto-seirei-js.ed.jp/
南山大学
〒466-8673 愛知県名古屋市昭和区山里町18 Phone:052-832-3111 Fax :052-833-6985 https://www.nanzan-u.ac.jp/
■交通のご案内 ■交通のご案内
●地下鉄名城線 「八事日赤」 下車 →南山大学まで徒歩8分 ●地下鉄鶴舞線 「いりなか」 下車 →南山大学まで徒歩15分 ●愛知環状鉄道 「山口」 下車 →聖霊高等学校 ・ 中学校まで徒歩15分
南山高等学校 ・ 中学校
〒466-0838 愛知県名古屋市昭和区五軒家町6 Phone:052-831-6455 Fax :052-831-7059 http://www.nanzan-boys.ed.jp/
■交通のご案内
●地下鉄鶴舞線 「いりなか」 下車 南山教会方面へ →南山高等学校 ・ 中学校 男子部まで 徒歩3分 ●地下鉄鶴舞線 「いりなか」 下車 2番出口へ →南山高等学校 ・ 中学校 女子部まで 徒歩3分
男子部
南山国際高等学校 ・ 中学校
〒470-0375 愛知県豊田市亀首町八ツ口洞13-45 Phone:0565-46-5300 Fax :0565-46-5303 http://www.nanzan-kokusai.ed.jp/
女子部
〒466-0833 愛知県名古屋市昭和区隼人町17 Phone:052-831-0704 Fax :052-834-4575 http://www.nanzan-girls.ed.jp/
■交通のご案内
●地下鉄鶴舞線 ・ 名鉄豊田線 「豊田市」 より とよたおいでんバス小原・豊田線、 藤岡・豊田線 (西中山経由) 「南山国際高校前」 下車、 徒歩1分
南山大学附属小学校
〒466-0838 愛知県名古屋市昭和区五軒家町17-1 Phone:052-836-2900 Fax :052-836-7401 http://www.nanzan-p.ed.jp/
■交通のご案内
●地下鉄鶴舞線 「いりなか」 下車 南山教会方面へ →南山大学附属小学校まで徒歩8分
交通案内図
至多治見 至岐阜 至犬山
犬山
高蔵寺
6分 2 0分
愛知環状鉄道
15分
大曽根
瀬戸市
名鉄瀬戸線
3分 6分
尾張 瀬戸
J R中央本線
庄内緑地 公園
新瀬戸
名古屋
丸の内
久屋 大通
地 下 鉄
地下 鉄名 城 線
桜 通 線
山口
聖霊高等学校 中学校
3分
今池
3分
伏見
2分
地下鉄名城線
栄
5分
千種
2分
5分
地下鉄東山線
本山
12分
藤が丘
17分
リニモ
37
近鉄 名鉄名古屋本線 J R関西本線
八草
9分
南山国際高等学校 中学校
4分
南山大学
八事 日赤
8分 9分
赤池
貝津
4分
上前津
1 分
地下鉄 鶴舞線
鶴舞
4分
御器所
4分
いり なか
2分
2分
八事
13分
浄水
7分
名鉄 豊田線
新豊田 豊田市
愛知環状鉄道
金山
J R東海道本線 地下鉄名港線
新瑞橋 南山大学 南山高等学校 南山高等学校 南山学園 附属小学校 中学校男子部 法人事務局 中学校女子部
地下鉄桜通線 名鉄名古屋本線
24分
徳重 知立
線 河 三 鉄 名
31分
東岡崎 岡崎
至豊橋
- ▲TOP

- ページ: 38
- 神奈川県 愛知県
神奈川県
聖園女学院高等学校 ・ 中学校
〒251-0873 神奈川県藤沢市みその台1-4 Phone:0466-81-3333 Fax :0466-81-4025 https://www.misono.jp/
■交通のご案内
●小田急江ノ島線 「藤沢本町」 下車、 徒歩約10分 「善行」 下車、 徒歩約15分
聖園女学院附属聖園幼稚園
〒251-0053 神奈川県藤沢市本町4-8-7 Phone:0466-22-2636 Fax :0466-22-2766 http://www.fujisawa-syk.com/youc18/
■交通のご案内
●小田急江ノ島線 「藤沢本町」 下車、 徒歩約7分 ●神奈中バス 「本町小学校前」 下車、 本町4丁目信号入る
聖園女学院附属聖園マリア幼稚園
〒251-0871 神奈川県藤沢市善行7-1-4 Phone:0466-81-4141 Fax :0466-81-6113 http://www.fujisawa-syk.com/youc15/
■交通のご案内
●小田急江ノ島線 「善行」 下車、 徒歩約5分
交通案内図
至 新宿 至 渋谷
2分
相模 大野
小 田 急 小 田 原
町田
小田 急江 ノ島 線
長津田
線 市 都 園 田 急 分 東
J R横浜線
新横浜 菊名
東急東横線
8分
5分
7
中央 林間
線
6分 10分
大和
東神奈川
相鉄本線
海老名
10分
二俣川
横浜
京急本線
至 品川
3分 11分
本厚木 湘南台
至 小田原
11分
横浜市営地下鉄
戸塚
5分
上大岡
4分
善行
聖園女学院附属 聖園マリア幼稚園 聖園女学院高等学校 中学校
2分
J R東海道線
5分
3分
平塚
藤沢 本町
小田原
7分
国府津
14分
5分
茅ヶ崎
9分
藤沢 聖園女学院附属 聖園幼稚園
5分
大船
38
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- 学校法人 南山学 園
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