2020 南山学園概要

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- 南山学園の歩み
ラッテン神父が理事長に就任した。 の定員を半分の50名にすると同時に、 語学の実務性を強調するた め、 英文学科が英語学英文学科となるなど語学ならびに文学科と し て各学科を改称することが計画された。 だが条件が整わず、 社 会科学部増設は社会学科増設に変更された。 1950年4月、 文学部 に哲学、 教育、 社会の3学科が増設され、 同時に、 既設学科の名称 と定員の変更が行われた。 また、 この年には教員、 学生計9名がア メリカ留学に出発した。 この時期に、 一時に9名の留学生を出した のは全国的にも稀な壮挙であった。 その一方で、 四日市海星学園 の経営移管問題が解決し、 1950年3月、 南山大学附属南山第二高 等学校 (校長アルベルト ・ ボルト神父 (神言会員) ) が設立された (1952年、 南山大学附属四日市南山高等学校と改称) 。 1951年3月、 財団法人南山学園は、 学校法人南山学園 (理事 長ゲオルグ ・ ゲマインダ神父 (神言会員) ) に組織変更し、 同時 に四日市市の財団法人海星学園を併合した (1955年、 四日市 南山高等学校の経営を学校法人エスコラピオス学園に委譲) 。 1952年4月、 大学に懸案の社会科学部 (社会学科、 人類学 科) が設置され、 同年5月には学校法人長崎東陵学園を併合 し、 長崎南山高等学校 ・ 中学校と校名を変更した (1955年、 学 校法人長崎南山学園を新設し、 南山学園から分離) 。 そして、 同年11月、 南山学園は創立20周年を迎えた。 この年、 大学の モッ トーとして正式に採択されたHominis Dignitati ( 人間の 尊厳のために) は、 学園全体の建学の理念を示す言葉とし て受 け継がれ、 現在は、 その具体的な方向性を与えるために、 各学 校が統一の教育モッ トーとし て掲げている。 この言葉は、 すべて の人間の尊厳に対し て敬意を払うことがあらゆる領域の活動の 根源であり、 目的であるととらえることができる。 この言葉を選んだのは、 ボルト神父であった。 ボルト神父は、 パッヘ神父が外国語専門学校、 大学の設立を進めていたとき に、 しばしば意見を求めていた良き相談相手であり、 良き協力 者であった。 ボルト神父はこののち、 大学教授を兼ねて、 高校 ・ 中学の校長、 大学副学長、 理事長、 学園長を歴任し、 学園の発 展に貢献する。 ボルト神父の選んだこの言葉に基づいて学園の 基礎を確立したパッヘ学長は、 学園創立25周年となる1957年、 後進に道を譲る形で南山を退き、 離日した。 その後、 1969年、 パッヘ神父は、 任地アメリカから病気静養のためドイツへ帰国 の途中日本へ立寄り、 南山大学名誉学長に推戴されたが、 6月9 日、 名古屋到着の翌日に入院、 7月24日、 名古屋聖霊病院で永 眠し、 多治見神言修道院に埋葬された。
南山大学の誕生 と 発展
1949- 1957
「人間の尊厳のために」 のモットーを掲げて
名古屋外国語専門学校の大学昇格のための準備は、 1947 年7月の大学設置基準制定よりも前から行われ、 1949年の大 学開設へ向けて着々と進められた。 パッヘ校長の大学構想は 次第に確定していくが、 その理想は外国語大学ではなくアカ デミズムを重視した総合大学であった。 その計画は、 まず南山 外国語専門学校時代からある英文・仏文・独文・中国文の4学 科で文学部を設置し、 そのあと、 総合大学への発展に向けて、 順次、 学部、 学科の増設を図るというものである。 だが、 教員、 建物、 土地、 図書など定められた条件を満たすた めに多大の努力を必要とした。 神言会本部は、 経営を引き継ぐこ とになった南山学園のために、 毎年の経常費援助と、 完成年度 (1952年度) までの毎年の設立臨時費寄付を行っている。 さまざまな困難をのりこえて 、 1949年 4月 、 南山大学が開 学した。 その内容は、 文学部英文・仏文・独文・中国文の4学 科 (入学定員合計100名) であり、 第一部 (昼間部) と同時に 第二部 ( 夜間部 、 19 6 6 年廃止 ) も併設された 。 初代学長に は、 パッヘ神父が就任した。 第一部入学志願者数は約400名 と好調なすべり出しであった。 第二部は英文学科のみで、 学 制移行期の事情を考慮して第2学年が若干名募集された。 同年5月26日、 大学開学記念式典が行われた (1971年に、 こ の日が大学開学記念日と制定された) 。 同年9月、 神言会員で20世紀人類学の巨匠シュミ ッ ト博士の 系譜を継承する人類学民族学研究所 (のちの人類学研究所) が 大学附属機関として設置された。 この研究所は主としてアジア 諸地域の伝統的な民族文化を研究対象とし、 宗教人類学を中 心とする特定テーマの研究によりこれらの諸地域の民族文化の 特性と形成過程を明らかにすることを目的とし ている。 文学部発足後に、 準備中の社会科学部増設を見越し て文学部
大学開学記念式典 (1949.5.26)
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