2020 南山学園概要

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- から財団法人南山学園 (理事長松岡孫四郎名古屋教区長) と 改められた。 当時の南山学園の設置者は教区であり、 理事長 には教区長が就任していた。 しかし、 その教区の運営は神言 会が担当しており、 学園の基本資金の大半は、 ローマ教皇庁 と神言会米国本部からの宣教資金に依存していた。 つまり、 南山学園は、 実質的には教区と神言会が一体となって運営し ていたのである。 南山外国語専門学校の修業年限は3年、 入学定員は英語科、 華語 (中国語) 科の各科50名であった。 入学試験の受験者は約
南山中学校入学記念写真
300名で、 1946年9月、 英語科64名 (内女子4名) 、 華語科55名の 合計119名が第1年次生とし て入学した。 南山外国語専門学校の校章は新しい南山学園の紋章として 用いられた。 十字架を背景にした南山の文字を鎖でかこみ、 左 右に5枚の翼という構図は、 パッヘ校長の創案によるものであ り、 この5枚の翼は、 総合学園を象徴し ている。 南山外国語専門学校は、 名古屋における大学・専門学校の 間で、 またカトリック校で最初の男女共学校であった。 1947年 には仏語科、 独語科を増設した。 入学定員は英語科80名、 華 語、 仏語、 独語の各科それぞれ30名となり、 1947年の入学試験 には定員の5倍強の受験者があった。 1947年3月、 「 教育基本法」 と 「学校教育法」 が公布され、 旧 制高等学校と専門学校の廃止が決まった。 この時期、 一地区を 示すだけの南山よりも、 知名度の高い名古屋の名称を校名に 使ってほしいとの要望があり、 専門学校は早晩大学へ発展的 解消していくという背景もあり、 1947年8月に名古屋外国語専 門学校と改称した (1951年廃止) 。 また、 この時期、 南山外国語専門学校への関心が高まり、 市 民の語学熱や受験生の希望も考えて、 外専の放課後に授業 (午後5時半始業) を行う専修科が設置されたが、 第1期生は 150名とたいへんな盛況であった。 1947年4月、 学制改革により新制南山中学校 (男子部) が設 立され、 旧制中学校 (1948年廃止) と併設された。 また、 1948 年4月には新制南山高等学校 (男子部) が設立されると同時 に、 中学校に女子部が設置されて、 懸案であった女子の中等 教育が実現した。 1951年には高等学校にも女子部が設置さ れ、 男女それぞれの個性を生かしながら中学、 高校6年間を一 貫して教育する現在の南山男子部・ 女子部のかたちが出来上 がったのである。 1948年5月には新制南山高等学校に夜間課程普通科が設 置 (1953年廃止) され、 旧制中学卒業者のための新制度への 移行処置がとられた。 なお、 高等学校・中学校の校長はパッ ヘ専門学校長が兼任した。 1948年10月、 財団法人南山学園の経営がカトリック名古屋 教区から神言会に委譲され、 神言会日本管区長フーベルト ・ フ
このような状況のなかで、 外国人であるライネルス神父は、 1940年に南山中学校校長を、 1941年にカトリック名古屋教区 長を、 財団法人南山中学校理事長をそれぞれ辞任せざるを えなくなったが、 自らが教区長として設立した南山中学校の 運営についてはその後も尽力を続けたのであった。 このような 時代であったが、 南山の名は地域に浸透し、 生徒数も着実に 増加していった。 1941年、 太平洋戦争勃発とともに南山中学も戦時体制の なかに組みこまれ、 1942年には中学校の修業年限は4年に短 縮され、 1944年には学徒勤労動員が行われ、 南山中学生は住 友金属、 三菱航空その他の会社の工場で労働に従事した。 ま た、 1944年末から中学校校舎は、 名古屋連隊区司令部として 接収された。 1945年初めには、 空襲を受け、 焼夷弾によって校舎西館が 半ば炎上、 焼失した。 8月15日、 戦争が終結する。 その約2週間 後の8月28日、 学園創立者ライネルス神父は、 多治見の神言修 道院で永眠したのであった。
南山総合学園の誕生
1946- 1948
南山外国語専門学校 ・ 新制高中校の設立
終戦により、 長い間キリスト教系学校に加えられてきた圧 力が取り除かれ、 学園の復興と新しい発展を図る時期が到来 した。 南山中学創設期の1933年にライネルス神父の補佐役と して招聘され、 英語の指導にあたっていたアロイジオ・パッヘ 神父 (神言会員) は、 学園の将来計画を検討していたが、 旧学 制が全面的に廃止されることを知り、 五年制中学校の上に三 年制高等学校を増設するという当初の構想を捨てて、 外国語 専門学校設立計画に改めた。 当時の中部地方には同種の学校 はなかったのである。 パッヘ神父は、 良き協力者をえてこの計 画を推進し、 1946年7月、 遂に英語科、 華語 (中国語) 科の2学 科をもつ南山外国語専門学校 (パッヘ校長) の設立が認可さ れた。 また、 この設立に際し、 法人組織も財団法人南山中学校
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