アーノルドの生涯 宣教
教皇と面談し、教会の宣教活動を担当するヴァティカンの役人たちと交渉を重ねたのち、アーノルドは、1879年に最初の2人の宣教師を中国に送ることが可能となる。
非常に貧乏な坡里(プオリ)の集会所は、神言会の中国における宣教活動の最初の拠点になる。アーノルド神父が帰天するときまでに、77人の司祭と20人の修道士が中国の「真ん中の王国」に派遣された。その収穫は、45,000人の受洗者と45,000人の求道者、および1,100の共同体の中に設置された教会や聖堂、祈りの集会所。

南チロル地方オイエス出身のヨセフ・フライナデメッツと、バイエルン州ウェインリース出身のヨハン・バプティスト・アンツァ-は、香港のライモンディ司教の下で年期奉公をし、1882年山東省に宣教領域を獲得。人口900万の場所で200人の信徒を見つけることになる。

ヨセフ・フライナーデメッツ(1852~1908)は、29年間、1度も故郷に帰ることなく、中国で巡回宣教師として働く。彼は1975年に列福され、2003年に列聖される。

ヨハン・バプティスト・アンツァー(1851~1903)は、1885年、司教に任命される。

1つの共同体が尊敬の念をもって宣教師を迎えるということは極めて稀なことである。1881年にフライナーデメッツ神父はこう記している。
「これは若い宣教師がとても痛切に感じていることです。彼は熱意に燃えてヨーロッパからやって来ます。彼は、宣教をして腕が疲れるまで洗礼を授けることを期待します。彼はパゴダが廃墟と化し、そこに新しい教会が点在する様子を思い描きます。」しかし、現実は全く違ったものである。「その宣教師は、多くの人々に憎まれ、少数の人々に寛大に取り扱われるも、誰にも愛されない。」
最初の2人の宣教師の派遣式でアーノルドはこう言っている
「人類の3分の1という膨大な人口を有する中国は、キリストが夢見ていた地です」

※本ページは、神言会創立150周年記念資料をもとに再構成・編集したものです。
