アーノルドの生涯 積み上げられる土台
聖ミカエル宣教神学校は成長していく。1877年春からは司祭志願者だけではなく修道士志願者の受け入れも始まる。修道士たちは、特に肉体を使う専門的な職業に携わる宣教師として養成される。
最初の10年は次から次へと建築のプロジェクトが進められた。建築の資金は、多くの人々からの少額の寄付金と少数の人々からの多額の献金によって融通された。
アーノルドは、1876年1月から自前の印刷機で『聖心の小さき使徒』を印刷する。宣教神学校の財政支援のために他の印刷の仕事の注文を受けることが待望されるも、注文はなかなか来ない。こういうわけで、宣教神学校の学生や会員たちの喫煙が厳しく禁じられているにもかかわらず、シュタイル印刷所では隣のたばこ会社のための印刷を引き受けることになるのである。
1878年1月に、宣教神学校は第2の雑誌、『神の国』の出版を始める。この雑誌は、娯楽、教育、宗教に関する内容を扱う写真週刊誌である。この雑誌は、宣教神学校と宣教師の派遣・養成を支援する財源となる。
アーノルドは、自らの「事前計画」資金調達方針についてこのように説明している
「もしも、神の栄光と魂の救済のために必要な建物を獲得する計画を進める際に、現金で必要な資金が得られるまで待つのであれば、計画の進行は鈍足で困難なものとなるでしょう。もしも、勇気と自信を持って事を進めていったらどう変わるでしょうか。ある司教が新しい教会を必要としていた司祭たちに語った助言に従いなさい。
『皆さん、先へ進みなさい。あなたがたが必要としているお金は、ふさわしい時にあなたがたにそれを渡そうとしている善意の人々のポケットの中に既にあるということを思い起こしなさい』」

※本ページは、神言会創立150周年記念資料をもとに再構成・編集したものです。
