アーノルドの生涯 初期の歩み
シュタイルの宣教神学校開校では、横断幕が掲げられ花輪が飾られ客が招かれ、新たな志願者も到着するものの、事業の始まりはとても貧しく内部では緊張が生じていたという事実を隠すことはできない。
シュタイルの宣教神学校の後方からの眺め
1875年9月8日、大天使ミカエルに献げられた。「洋服箪笥がなかったので、 住人は壁に並べられた 本の上に衣類をつるし、 それを亜麻布で覆い隠していた」と報告されている。
初期の神学生たちと一緒のアーノルド。初めの何年かは神学生の数は少数に甘んじている。神学生たちのコメントも必ずしも好ましいものであったとは言えない。「学業への望みも好みもすべて失ってしまう。ここには何の励ましもなく、精神が抑えつけられるだけ」アーノルドについて「彼は何もかも自分がよりよく知っているし、よりよくできると思っているようだ」司祭として宣教に出かけることに興味のある若者たちのためのラテン語学校がより急速に大きくなる。アーノルドは自らの雑誌で入学者を募集する。
1877年9月8日、建物の新棟が開所する。この棟は間もなく司祭と信徒のための黙想センターになる。その結果として、何千もの司祭と何千もの信徒がシュタイルにやって来て、自分たちの教会や家族への宣教の熱意を取り戻し、知らず知らずのうちに宣教運動の一番の推進者になっていった。
「われわれの修道会の目的は、神のみ言葉を地上に広めることである…」
1876年6月15日、最初の会憲の草稿以後、シュタイルの共同体は「神言会」(SVD)であることがアーノルドによって承認される。
アーノルド・ヤンセン宣教神学校開校の際の説話より
「宣教神学校から何かが生まれるとしたら、それは神の恵みのおかげであり、もし何も生まれないのなら、私たちは胸を打ち、自分たちがその恵みを受けるに値しない者であったことを認めます」

※本ページは、神言会創立150周年記念資料をもとに再構成・編集したものです。
