アーノルドの生涯 成果
北アメリカの黒人への宣教(1906年)と日本への宣教(1907年)は、晩年のアーノルド・ヤンセンにとって最も重要な土台である。彼の神言修道会に対する気遣い、修道会の外的発展のみならず内的発展にも心を砕く姿勢は、病の中にあっても弱まることがない。
1909年1月15日に彼が帰天した時点で、彼が切り開いた活動は、430人の司祭、588人の修道士、450人の修道女が担っていた。
1907年からアーノルド神父は、糖尿病の進行に苦しむようになる。
オーストリアの聖ルペルト宣教神学校で、彼の病状は一時的に改善する。
1908年10月30日、彼は脳卒中を患う。11月1日には、修道会の統治権が彼から彼の補佐役に譲られる。彼が寝たきりになったのは、生涯最後の10日間だけ。「日中、彼はたいてい、事務所の机の前に静かに満足した様子で座っていて、ほぼ幸せいっぱいの様子だった。11月の最初の数日にわたって、彼は司祭や修道士たちを小グループで訪ねさせ、彼らに別れを告げた。」
アーノルド・ヤンセンは帰天した時71歳。司祭として48年間、シュタイルの宣教修道会の創立者、総会長として35年間を過ごす。葬儀ミサは、1909年1月19日、シュタイルの大聖堂で執り行われる。
アーノルド・ヤンセンは、1975年10月19日の世界宣教の日に、教皇パウロ6世によって列福され、2003年10月5日に教皇ヨハネパウロ二世によって列聖される。
1908年6月のアーノルド・ヤンセン
「私は、死が近づいている気がしています。死に向けてよい準備をする必要を感じます。」

「父、指導者、創立者」
「父、指導者、創立者」は、シュタイルの小聖堂の石棺に刻まれた簡素な碑銘である

※本ページは、神言会創立150周年記念資料をもとに再構成・編集したものです。
