学校法人南山学園 理事長
市瀬 英昭
クリスマスのお祝いを申し上げます。同時に、この場をお借りして、南山学園の教育・研究事業を日頃ご支援くださっている方々に、心より感謝申し上げます。
随分前のことになりますが、1991年の夏に、聖書の地イスラエルを一人で「聖地巡礼」する機会がありました。数日かけて、エルサレム、ベツレヘムをはじめ、イエスの故郷ナザレや彼が後に移り住み、宣教活動をしたカぺナウムとその会堂跡を巡り歩きました。またイエスが「空の鳥を見よ、野の花を見よ」と人々に語りかけたガリラヤの丘をゆっくり歩きました。そして、その丘の上の草原に腰をおろして、青いガリラヤ湖を眺めながら、イエスや彼の弟子たちはこういうところで一生懸命に生きていたのだな、と胸の熱くなる思いがしたことを覚えています。現代の表現を使うなら「誰ひとり取り残されないこと」を願って全身で生きようとしたイエスは十字架上で死にましたが、弟子たちの小さな集まりから教会が誕生しました。イエスの「いのち」が世界に拡がっていくために。それは1549年フランシスコ・ザビエルによって日本にも及びました。ヨゼフ・ライネルス神父やピア・ハイムガルトネル修道女らの働きによって、現在の南山学園にもその「いのち」が受け継がれています。
西暦332年、コンスタンティヌス帝はベツレヘムにイエス生誕を記念する「降誕のバジリカ」を建立しました。このバジリカは過去に幾度か破壊されましたが、その度に修復され現在に至っています。現在の建物の入り口は狭く低くされていますが、それは兵士たちが乗馬したまま中に入ることを阻止するためだったとのことです。「人の扉」と呼ばれるこの入り口の高さは1m20㎝くらいしかないので、大人が中に入るためには身をかがめてちょうどお辞儀するような姿勢をとらなければなりません。これは期せずしてシンボリックな動作になっていると思います。哲学者の上田閑照氏によれば日本人のお辞儀は「お辞儀する人同士が一度無になって、その後、無から立ち上がるような姿勢で向き合うことを表している」とのことです。毎回が新鮮な出会いであることを示すお辞儀。
クリスマスは、イエス誕生の祝いの時であると同時に、暴力ではなく愛と他者への尊敬によって世界が「ひとつ」になるようにと願う祈りの時です。戦争も平和もまず、人の心の中に生まれます。どんな困難の中にあっても希望を失うことなく、わたしたちもお辞儀をし合いながら「人間の尊厳のために」力を尽くすことができますように。
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