南山学園案内誌 2024
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南山学園の歴史“キリストの福音を語り継ぎ、宣教の使命を果たすために” 神言修道会(神言会)は、学校教育事業を通じての日本宣教をめざし、1907年(明治40年)に外国人宣教師3名を初めて日本に派遣しました。その後1909年(明治42年)に金沢にヨゼフ・ライネルス師が上陸し、1932年(昭和7年)、ローマの教会当局からの要請、教育を重視する神言会の方針に従い、名古屋の地に旧制南山中学校が設置されたのが南山学園のはじまりです。ライネルス師は、実学よりも人格形成としての教養に教育の主眼をおき、また、中学校の設置だけで終わるつもりはありませんでした。その後、その意思を継いだアロイジオ・パッヘ師の尽力により、1946年(昭和21年)、南山外国語専門学校を設置、発展させて1949年(昭和24年)に南山大学を開学しました。 1995年(平成7年)には神言会と創立者を同じくする女子修道会・聖霊奉侍布教姉妹会(聖霊会)が経営する名古屋聖霊学園と、2016年(平成28年)には学園創立者ライネルス師が創立した女子修道会・聖心の布教姉妹会が経営する聖園学院と法人合併を行い、カトリックのつながりを大切にしながら、南山学園は、幼稚園から大学院までを擁する総合学園となりました。それはライネルス師が当初に構想した「初等教育から高等教育までの一貫教育を行う学園の創設」の実現でもあるのです。1909年8月南山学園創立者ライネルス神父来日1936年1月南山小学校設立(1941年3月名古屋市に移管)1935年8月財団法人 聖心愛子会設立1943年4月現聖園幼稚園の前身である聖園戦時保育所開設1947年4月学制改革により新制南山中学校(男子部)設立外国語専門学校に独語科・仏語科を増設(8月名古屋外国語専門学校と改称、1951年4月廃止)聖園女学院附属小学校設立1946年5月旧制聖園女学院高等女学校設立7月財団法人南山中学校を財団法人南山学園に組織変更南山外国語専門学校(英語科・華語科)設立1920年5月聖園女学院の設立母体である聖心愛子会(のちの宗教法人聖心の布教姉妹会)創立1963年4月大学に外国語学部を設置大学院経済学研究科を設置1958年4月大学院社会科学研究科を設置1960年4月大学社会科学部を発展させて経済学部を設置大学院社会科学研究科を文学研究科と改称5月学校法人長崎東陵学園を併合 長崎南山高等学校・中学校と校名変更(1955年2月学校法人長崎南山学園を新設し学校法人南山学園より分離)聖霊高等学校設立(学校法人名古屋聖霊学園)1952年4月大学に社会科学部を設置9月大学附属人類学民族学研究所設置(後に人類学研究所と改称)聖霊中学校設立(財団法人名古屋聖霊学園)1950年3月大学附属南山第二高等学校設立(1952年大学附属四日市南山高等学校と改称)1932年1月財団法人南山中学校設立(名古屋市中区五軒家町6番地の1=現在、昭和区五軒家町6)南山中学校男子部校舎(1932年)1953年11月南山高等学校女子部 昭和区隼人町の新校舎(現在地)に移転(中学校女子部は1956年4月同地に移転)南山中学校女子部校舎(1953年)1964年4月大学 昭和区山里町の新校舎(現在地)に移転南山大学正門(1964年)南山大学G30教室(1964年)聖園女学院高等・中学校校舎(1965年)1951年4月南山高等学校に女子部を設置南山学園講堂(1951年)1951年3月財団法人南山学園を学校法人南山学園に組織変更 同時に四日市市の財団法人海星学園を併合(1955年3月四日市南山高等学校の経営を学校法人エスコラピオス学園に委譲)財団法人名古屋聖霊学園を学校法人名古屋聖霊学園に組織変更学校法人聖園女学院として組織変更(学校法人聖園女学院)20世紀初め、神言会会員の日本への上陸場面と思われる中学初期の教職員(前列中央はヨゼフ・ライネルス師)東西両翼が完成した大学校舎(1949年)1949年4月南山大学(文学部英文・仏文・独文・中国文の4学科)設立(中国文を1962年4月廃止、英文を2004年3月廃止)同第二部(夜間部)を併設(1966年3月廃止)聖園女学院高等学校設立1948年4月新制南山高等学校(男子部)設立南山中学校に女子部を設置学制改革により新制聖園女学院中学校設立5月南山高等学校(男子部)に定時制を併設(1953年3月廃止)12月財団法人名古屋聖霊学園設立(名古屋市中区三の丸)10月財団法人南山学園の経営をカトリック名古屋教区から神言修道会に委譲聖園幼稚園設立– 18 –

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