ペドロ・シモン第8代南山学園理事長/第4代南山学園長真の国際性と宗教性 今日、教育の重点は何か、との問いに対して、世界的な視野を与えることとか、国際性を養うこととか答える人も多いと思う。しかしその前に、教育の基本として教えていかなければならないのは、そうした国際的な視野を支える次元、つまり、自分たちの存在基盤としての国という視点に立って、その基礎を固めていくことではないか。国際的な関係を支えているのは一つ一つの国という単位であり、この国という単位を看過しては真に国際的な視野は生まれてこないのではないか。ある国の歴史、そこに芽生えた文化、その国の人々が時の流れのなかで作り上げてきた思想、そこで生まれた文学など。こうした様々な要素を教え、自国に固有なものを理解させ、その理解の中から自分の国に対する愛情を育むということ。自分の国の人々が歩んできた道筋を知り、同一の大地で確かな未来を模索するということ。 ここまで私は、真の国際性の出発点とは、各人が自らの現実を築いている基盤をしっかり把握することにある、と述べてきたが、そうした個としての視点にグローバルな視点を付与するさらに深い次元があり、それが宗教性である、と思う。人は自国に根ざした思想や知識に支えられ、宗教が有する普遍的価値観に照らされて、より国際的な視野を獲得することができる、と思う。 日本では古くから、人々の暮らし、習慣、行事など様々な分野において、神道や仏教が非常に重要な役割を果たしてきた。その日本で、カトリックを最高理念として掲げる南山学園が果たすべき役割はなんだろうか。 世界には様々な宗教が存在する。人々はそれぞれの宗教を信奉し、その教えに従う。しかし、それだけでは十分ではない。自分の宗教の教えにとどまり、それだけを敬うのでは独善に陥る危険性がある。視野を広げ、より大きな世界を理解していくには、他の宗教を知り、互いに認め合い、尊重しあっていくことを学ばなければならない。このような根源的な「相互理解」の精神こそ、南山が掲げる「人間の尊厳のために」Hominis Dignitatiというモットーにふさわしい精神である。南山大学の宗教文化研究所はこうした考えに基づいて、諸宗教間の対話をひとつの大きな柱として創立されたものである。諸々の宗教を信奉し、諸々の文化に生きる人々が互いに心を開いて、より深く大きな理解の道を探る。多様な世界状況の下、認めあい尊重しあうことで、新しい21世紀の世界を拓くための愛と知恵を現実のものとしていく。私は、南山における学問と国際性の推進に力を注いだ沼澤神父やヒルシュマイヤー神父らの意図を継続させていきたいと思う。 今、南山大学に総合政策学部と数理情報学部という二つの新しい学部が誕生しようとしている。こうした学部ではコンピューターなどの情報機器を多用して教育が行なわれていくことだろう。いうまでもなく、情報機器の導入は相互のコミュニケーションを容易にする。身近なところから国際社会に対しての働きかけが可能となり、またその逆に、世界の情報の獲得もできる。今後この傾向はますます増大していくことだろう。こうした状況にあって、教育とは知識のみをインプットするロボットに対するようなものではなく、学生の一人一人が人間として自己を確立し、健全で深い思想の持ち主となるよう、その現場においては今まで以上の努力が求められるであろう。換言すれば、学生の世界観および人格や学問の形成にあたって、何よりも「人間の尊厳」を踏まえた教育が実践されていなければならない。とりわけ、人間と世界全体を絶えず総合的に探求する哲学や宗教を、科学技術の教育の場においても明確に位置づけしておかなければならない。これこそ普遍的学問の府たるカトリック大学の使命である。 人類の歴史が積み上げてきたあらゆる分野の知識と知恵を学び、さらに神の啓示によって示された「神の似姿としての人間」にふさわしい世界の実現に向かって、より希望と喜びに満ちた21世紀を実現することこそ、我々の使命である。この使命を達成するために、若者たちがグローバルなビジョンと力を得ることができる真の学問と教育の場を提供できるよう、我々はいかなる努力も惜しんではならないと思う。(1997年)Pedro SimonMESSAGE. 2– 23 –
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