2023_Hominis_Dignitati
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Kiichi NumazawaMESSAGE. 1 一般に開学記念日の主旨は、その大学なり学園の創立を記念し、創立の理想また意義を反省し、将来に向ってその理想の実現について考えることにあると思います。 さて南山学園の創立は1932年。創立者ヨゼフ・ライネルス神父が亡くなられたのは1945年(8月28日)、したがって南山学園創立者が亡くなられてから今年が25年目にあたります。南山大学の創立者アロイジオ・パッヘ神父はライネルス神父の右腕として協力され、学園創立の理念をそのまま受け継いで1949年、南山大学を創立いたしました。 南山学園の創立から南山大学創立を通じて一貫している教育の理念は、キリスト教精神にもとづく人間の尊厳にありました。勿論この理念を基礎とする南山大学創立にあたって「研究と教育の場」という大学一般の使命が新たに打出されたのはいうまでもありません。南山大学はこうした教育理念を基礎に、南山学園の一環として創立されたのであり、ここに南山大学の特色があります。 今日、日本だけではなく世界の各国において大学の改革が論ぜられ実施されつつあります。学問と技術、社会事情などに大きな進歩と変化がみられるこの時代において、大学の教育と研究、組織と管理等の面にも改革が必要なのは当然であります。しかし、南山大学が、南山学園の一環として創立され、存在を続ける以上、すべての変革は当然南山大学の特殊な存在と使命を、よりよく実現するためという方向において行なわれるべきでしょう。 南山学園の教育理念であるキリスト教精神に基づく人間の尊厳と研究・教育の場としての大学の使命との間に、何か合致しないものがあるのでは?と疑念をもつものがあるかも知れません。しかし、学問の本質は、学問それ自身の内部から展開され発展するものであります。こういう学問の本質に対しては、研究を根本的使命とする大学においては、何ものも矛盾や対立できないことは云うまでもありません。ただ忘れてならないことは、一般社会の人々はもちろん、何びとと云えどもただ学問だけにつきる存在ではない、ということです。在来の伝統的表現に従えば、人間は知・情・意を具えた人格的存在であり、社会生活を行なっているものです。人間というものは、片寄った一面からだけ把えられるべきものではなく一人一人の人間が「全人」即ち「現実に生きているあるがままの人間」として考えられるべきであります。こういう「全人」的人間の形成を目標に掲げたのが南山学園のキリスト教に基づく人間の尊厳という教育理念であります。 一つの私立大学で、しかも特殊な使命をもって創立され、その伝統の下に存続している南山大学のような大学にとっては、開学の理念を反省することは、国・公立の大学以上に大切であります。そこには、変革されるものと、され得ないものがあるからです。その意味で、きょうの開学記念式典にあたり特に本学園創立と本学開学の理念を、簡単ではありますが反省してみました。 いずれ、あらためて、今は故人となられた学園創立者及び大学創立者が、創立に際して抱いておられた理想、教育の理念などを、より具体的にまとめてふりかえり考える機会をもつことが大切であると思います。(1970年)沼澤 喜市第2代南山大学長建学の精神を憶う– 22 –

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