2022_Hominis_Dignitati
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1324TOPICSCourse of HistoryTOPICSCourse of HistoryTOPICSCourse of HistoryTOPICSCourse of History 1922年(大正11年)、富山、石川、福井、愛知、岐阜の5県を束ねる名古屋教区が日本の教会管区に新たに設置され、ライネルス師が初代教区長となった時、男子のための中学校の創立が教区創立の主な理由の1つでした。ライネルス師は、名古屋の80万人を超え、なお成長している人口と、活気ある港と産業基地を持つ商業・交通の中心地という位置から、名古屋が最も望ましい学校創立の場所と考えました。その中でも「静かな環境の中で真理を伝えたい」との念願から、都心から離れた八事丘陵地に校地を取得したのです。 1970年代、東海地方では企業の海外進出がすすんでいましたが、当時は帰国子女を受け入れる学校が極めて少なく、社会課題となっていました。南山高校・中学校では帰国子女の受入れの増加から、1979年(昭和55年)に帰国子女特別学級、1981年(昭和56年)に中学校国際部、翌年に高校国際部を設置しました。これを発展・独立させ、1993年(平成5年)、公私各方面の多大な援助を得て、愛知県豊田市に南山国際高等学校・中学校を開校。随時編入でき、学力のみで選抜せず、帰国子女と外国人子女のみを受入れる全国でも類を見ないこの学校は、南山独自の国際教育の伝統を継承しつつ、地域社会の課題解決と国際化に大きく貢献しました。 高等教育を行うことは、学園創設時からライネルス師が構想していたことでした。アロイジオ・パッヘ師はその意思を継ぎ、神言会の協力により外国人宣教師を教員として採用できること、当時の日本における外国語教育の担い手不足という社会的要請を考慮して、1946年(昭和21年)に南山外国語専門学校を設置します。そして学校教育法の公布により高等教育機関は大学に一元化され、1949年(昭和24年)、南山大学が誕生しました。当初は文学部のみの設置でしたが、それはあくまでも総合大学への発展への第一段階でした。 ライネルス師は、名古屋地域での幼児教育の振興普及を聖心の布教姉妹会、聖霊会等修道女会に託していました。南山中学校開校の後、地域からの嘆願もあり、1936年(昭和11年)に南山小学校を開校。「人格教育・個性尊重・少人数学級編成による児童中心の教育」を独自の教育として「真教育」と表現しました。しかし、第二次世界大戦の勃発により学園存続の観点からわずか5年で廃校を余儀なくされ、名古屋市へ移管されます。時は経ち2008年(平成20年)、学園創立75周年事業として南山小学校があった同じ場所に、「南山大学附属小学校」が開校しました。「真教育」は新しい南山小学校の教育の中心におかれ、南山小学校は約70年の時を超えて「復活」することとなったのです。なぜ名古屋の地を選んだのか帰国子女教育の要請にこたえて外国語専門学校の設置と南山大学の誕生南山小学校の復活学園の歩み– 21 –

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