南山アーカイブズ 見学・参加 企画展

第3回企画展「南山大学の設置~名古屋外国語専門学校から南山大学へ」(2018年10月1日~2019年7月31日開催)

2018.10.01

1949年4月、南山大学は新制大学として設置されます。その前身校である名古屋外国語専門学校も戦後の設置ですが、1946年9月、旧制の専門学校として設置されました。

南山大学は、はじめは前身校の学科構成をそのまま継承し、文学部の4学科(英文科・独文科・仏文科・中国文学科)のみの小さな大学でしたが、早くも翌年には3学科が増設され、1952年には社会科学部という新たな試みの学部が増設されます。南山大学の前身校である名古屋外国語専門学校の校長であり、初代南山大学長となったアロイス・パッへの壮大なビジョンが、一歩ずつ実現されていきます。

南山アーカイブズ第3回企画展では、南山大学の設置からキャンパスの移転に至るまでを、前身校の開設から閉校を前史としながら概観していきます。

 南山外国語専門学校として開設された南山大学の前身校は、開設2年目に学科を増設し、4学科体制となり、名称を名古屋外国語専門学校に変更します。しかし、旧学制によるこの学校は、パッヘ校長にとって、新学制に対応した高等教育機関(大学)を設置するためのステップでした。パッへの構想では、南山大学は現在のキャンパスに立地する、人文・社会科学系の総合大学でしたが、校地の取得も含めて、すべてが計画段階にあり、とりあえず南山大学は、南山中学校の本館校舎として建設された現ライネルス館建物(南山アーカイブズが設置されているライネルス館)の東西に校舎を増築し、そこに設置されます。

 さらに南山学園の施設として、観覧席を備えたプールや講堂が設置され、講堂には図書館も設けられるなど、設備の充実が図られます。旧制南山中学校の体育館兼講堂には学生食堂が設けられ、プールの観覧席の下には売店や制服を仕立てる裁縫部が設置され、学生生活も充実されていきます。

 しかし、この五軒家町キャンパスには、大学以外にも、その一画に南山高等学校・中学校の校舎が男子部・女子部に分けて設置されていて、キャンパスの狭さは否定できませんでした。これは、学部学科の増設を大きく制約します。とくに、経済学部の増設は南山大学の発展にとって必須の課題でしたが、そのための校地・校舎の確保は、不可能に近い状態でした。

ここから、南山大学の山里町移転が現実に必要不可欠な条件として認識され、そのための議論が本格的に始まります。すでに半世紀前となってしまいましたが、五軒家町にあった黎明期の南山大学の姿を、この展示から思い描いていただければ幸いです。

第3回企画展チラシ

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