常設展示
戦後教育改革と南山外国語専門学校の設置
外国語専門学校の設置
ライネルスの意志を受け継いだパッヘは、戦後、南山の総合学園化に着手した。
1946年9月、南山外国語専門学校は、英語科・華語(中国語)科の2科をもって設置され、校舎には現ライネルス館が充てられた。1947年4月、仏語科・独語科が増設され、8月には校名を名古屋外国語専門学校に変更することが認可された。

南山(名古屋)外国語専門学校は、語学修得の一環として語劇を企画し、学外でも講演された。また、習得した語学を社会で実践的に利用するため副専攻制度を設けた。

外国語専門学校の生徒
南山外国語専門学校は、設置段階から男女共学であった。ただし、実際には、女子生徒の入学は少なかった。生徒は東海3県の出身者が多く、とくに名古屋市出身が多かった。

外国語専門学校の閉校
教育基本法とともに学校教育法が1947年3月31日に公布、翌日施行され、高等教育機関は新制大学に一元化された。1949年4月、名古屋外国語専門学校を単独の前身校として、南山大学文学部が設置された。名古屋外国語専門学校は、1951年3月、閉校となった。

1951年3月3日