常設展示

南山大学の設置

新制大学としての設置

1949年4月、文学部(一部・二部)英文科・仏文科・独文科・中国文学科という構成で、南山大学が開学した。学科編成は、前身校を継承していたが、総合大学への発展を期して、校名は「南山大学」とされた。

大学開学記念式典ミサ 1949年

南山大学では、理系実験室の設置に見られるように、一般教育科目の充実が図られた。また、音楽が重視され、実技を担当する演奏家を教員として招き、授業以外にも多くの演奏会が実施された。

校舎にはライネルス館が本校舎として使用され、その東西に校舎が増築された(東翼・西翼校舎)。また、講堂を建設し、その地下に図書館を置いた。

ラザール・レビィを招いた演奏会

学部学科の増設

パッヘの総合大学構想をもとに、開学翌年の1950年には哲学科・教育学科・社会学科が増設された。社会学科は、法学・経済学を含む社会科学諸領域に及ぶ学科であった。1952年には社会学科を発展させて社会科学部社会学科を設置し、あわせて人類学科を設置した。

入学試験合格発表 1952年4月

社会の中の大学

社会科学部社会学科では、学生が経済学コースに集中し、第3の学部として経済学部の設置が要請された。しかし、五軒家町のキャンパスは狭小で、校舎の増築は難しかった。ここに、パッヘが抱いた山里町キャンパスがあらためて浮上した。

政治社会学演習