常設展示

南山大学の移転

キャンパス移転をめぐって

南山大学初代学長パッヘが構想した名古屋キャンパスは、東は山手通に接する広大なものであった。南山大学で移転が議論された時期、南山高等学校・中学校(男子部)でも山里町への移転が計画された。意見は二分され、神言会総会長の来日視察の結果、大学の移転が決定した。

名古屋キャンパス予定地

レーモンドによる設計

キャンパスの設計は、モダニズム建築で知られたアントニン・レーモンドに依頼された。南山大学は、一人の建築家によってキャンパス全体がデザインされ、調和を期待できるものとなった。

キャンパス予想図を前にしたパッヘ

レーモンドは地形を活かし、可能な限り経費を節減し、シンプルで機能的なキャンパスを設計した。南山大学の設計により、レーモンドは日本建築学会賞を受賞し、続いて設計された神言神学院とともに晩年の代表的作品となった。

建設中のキャンパス 1963年10月

新キャンパスへの移転

キャンパス移転が現実になると、学部学科の増設が進んだ。1964年4月、南山大学は移転した。その後の学部学科の増設に伴い、校舎も増築されていったが、レーモンドによる基本的なプランは維持された。

第3代学長ヨハネス・ヒルシュマイヤーは、野球場をグリーンエリアに改修した。M棟の南壁面に設置された、レーモンドのデザインによる鉄製レリーフを背景に、グリーンエリアに学生たちが憩う光景は、南山大学の象徴的なイメージとなっている。

(左)M棟レリーフ (右)木立の中のK・M棟