常設展示

南山大学の学生たち

学生運動の高揚と終焉

高度経済成長期の所得増加は大学進学率を押し上げ、学生は大衆化していった。1960年代末から70年代初頭にかけて、「大学運営に関する臨時措置法」施行、安保条約の改定などに反発した学生運動が、全国で沸き起こった。

突入する機動隊

南山大学も例外ではなく、1969年9月には学生30人が本部棟の学生委員会室を占拠し、1971年6月には学生50人が本部棟会議室に学長を軟禁する事件が起き、愛知県警察の機動隊が出動した。学生運動は分裂し、一部が過激化したものの、多数の一般学生の関心は薄れ、74年には運動は終息した。

スクラムを組む学生とそれを見る学生

学生たちのさまざまな活動

南山大学では、前身校である名古屋外国語専門学校時代から学生会が組織され、学生主体で様々な活動を組織的に行なっていた。その活動は、伊勢湾台風の救援活動を経て、1960年に刷新された。大学祭は、この年を「第1回」として再スタートをきり、上智大学との交流も「上南戦」として毎年開催されるようになった。この他の恒例行事としては、五軒家町キャンパス時代から続く野外宗教劇「受難」の上演がある。

学生会は、学生運動の嵐の中で1972年に崩壊、消滅した。大学祭などが開催されないこともあったが、多くの課外活動は継続し、大学祭も新たに組織された運営委員会により復活を果たし、今日に至っている。

五軒家町キャンパスでの最後の大学祭り
宗教劇「受難」南山教会前
宗教劇「受難」パッヘスクエア