『南山学園史料集6 南山大学の人類学』
2011.03.18
編集: 南山大学史料室、発行: 南山学園 2011年3月18日
目次
1 前 史
2 人類学民族学研究所
(1) 設置の経緯
(2) 組織と活動
3 人類学科と大学院人類学専攻
(1) 文学部社会学科
(2) 社会科学部人類学科
(3) 大学院人類学専攻
(4) 学生の研究活動
4 人類学研究所陳列室から人類学博物館へ
(1) コレクションの形成
(2) 博物館設置へ
解 説
南山大学は人類学に関して、研究所、博物館、学科および大学院の専門課程という恵まれた教育・研究環境を有している。これは、南山大学を経営する学校法人南山学園の設置母体である神言修道会の会員の中に人類学研究者が少なからずいるという特質に由来する。
人類学研究所は、遡れば、一九三五年、神言会員でアントロポス研究所を主宰したウィルヘルム・シュミットが来日した際に構想された同研究所日本支部の設置計画を淵源とする。
人類学博物館は、人類学研究所内の陳列室が独立した施設であるが、その収蔵品には、神言会員のジェラルド・グロートが主催した日本考古学研究所による発掘調査での出土遺物や、グロートの後任として日本考古学研究所を運営した神言会員のヨハネス・マリンガーが寄贈した旧石器コレクション、やはり神言会員のアウフェナンガーが来日前にニューギニアで収集した民族資料が含まれている。
人類学科の設置は、神言会が北京で経営していた輔仁大学が閉鎖となり、その中のモニュメンタ・セリカと呼ばれる研究施設のスタッフを起用したものと説明されることがあり、大学院の設置に際してはモニュメンタ・セリカの蔵書を利用できることが謳われた。
本史料集は、南山大学史における人類学の教育・研究の組織・制度の変遷を俯瞰するための素材を提供するものであるが、大学史が個別大学史にとどまり得ないことは、今日の水準では共通認識となっている。本史料集では、それを人類学のアカデミズムにおける制度的発展という視点から捉えるべく編集された。
(永井英治「解説」より)