懐かしい風   前 壽則(大25期 哲学)


この4月に名古屋の画廊で個展を開いた。個展そのものは10年位前から地元の福井などで毎年行ってきているが、都会の画廊は初めてのことである。当然のことながら名古屋は学生時代の数年間を暮らした街なのだが、その期間のほとんどを大学と下宿の往復だけで過ごしていたものだから、栄とJR名古屋駅以外はどこも知らないというに等しいのみならず、交友関係も極めて限られているので知人も少なく、まったく見ず知らずの土地に乗り込んで行くと言うに近い現況である。だからこの一年間は、肝心の作品の出来具合よりも、人が来てくれるだろかと、そんなことばかりを心配していた。しかし、有り難いことに、南山同窓会のホームページに載せていただくという援助もあり、仏文や人類学科の同期生たちもやって来てくれて、画廊のご主人はどうだか分からないが、私としては満足というか、感謝に満ちた個展となった。
ただ、同期生たちは私の名前が印刷された案内状を手にしているというのに、半信半疑で出かけてきたらしく、一人の旧友などは私の顔を見るなり、「お前が生きていることだけでも不思議なのに、絵なんか描いているのか」と、失礼なことを言うのである。しかし、よくよく考えてみれば、当然である。彼らの知る私と言えば、狭くて暗い下宿で原稿用紙に向かっているか、議論をしているかで、恥知らずにも小説家になるのだと広言して憚らなかったのだった。そんな私が絵と結びつくはずがない。
だから、個展期間中の私の仕事は専ら、「30歳まで小説を書いていたが、諦めて、絵を描き始めた」ことや「芸術家になることを18の自分に課していたので、義務と意地だけで描いてきた」ことを説明することだった。まったく、同じ話を何回したことか、数えられないほどである。
だが不思議なことに、常なら苦痛を齎すはずのそんな会話が今回ばかりは楽しかった。顔も体形も大いに変わってしまった同期生たちに同じ話を繰り返しつつ私は、胸の内に風が吹くのを感じていた。もう30年も前の鬱々たる日々の中、大学のキャンパスで見上げた蒼空に吹き渡っていた風だ。爽やかな、懐かしい風だ。